スポーツチャレンジ賞

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INTERVIEW
MASAHISA MONDEN × TOMOKO HAGIWARA

【対談】門田正久 × 萩原智子

障がい者スポーツトレーナーの道標として

そこが僕のやりたいことです。みんなスポーツに助けられたり、成長させられたり。そういう場を誰でも持っていてほしいですし、そういう場がいっぱいできたらいいなと思います。

きっかけの作り方をみんなに知って欲しい

萩原ここにきてパラの世界ってものすごい勢いで動き始めていると思うんですが、門田さんはどんなふうに見てらっしゃいますか?

門田今のパラはもう、IOCとIPCの変えられないビジネススキームでグーッと動いていっているように、僕の目には映っています。そういう流れの中で、見栄えのいい障がい者のスポーツだけが残り、重度障害がだんだん排除されていくんじゃないかなって不安はありますね。ゴールボールひとつとっても、ブラインドのクラス分けでB1、B2、B3っていうのがあるんですが、B1は全盲に近い状態、B3は弱視なんですけど、外国を見ているとほぼみんな選手はB3なんですね。ということは、トレーニングを教える方はものすごく楽なんです。

萩原楽というのは?

門田健常者は見て、学んで、やって、という具合に習得してゆくじゃないですか。B3の選手も、こうやって動くんだぞ、という説明で通じるんです。ところがB1の選手は、教えている人間の身体に実際に触らないと、形態がイメージできない。日本はB1クラスの選手がまだ結構多いですが、オーストラリアや、強くなってきているイラン、イスラエル、トルコといった国は、B3の選手が多くいます。

萩原それは難しい問題ですね。

門田いろんな種目がある、って意味では、国体の1カ月後にある全国障がい者スポーツ大会のほうが、よっぽどいい感じですよ。IPCの方は、今後はほぼプロに近い状態でやっていくことになるんでしょう。IOCの標準記録だってどんどんタイトになってきて、オリンピックなんてもう異次元じゃないですか。パラは大丈夫かなって思っていたんですけど、最近の動きを見ていると、パラもやっぱりオリンピックみたいになるのかな、って気がします。本音を言えば、アテネとか北京くらいのスキームでとどめておいてほしいんですけど、まあそれは国際情勢だから仕方ないですね。

萩原指導者やトレーナーさん、ご家族も含めて、障がい者スポーツのまわりの人の意識改革ってすごく大事ですよね。昨年受賞された臼井さん(義肢装具士)から、はじめはみんな家に引きこもって外に出たがらない、スポーツなんかもってのほか、だけど、義足つけて走るっていうことを始めたときに、みんなの顔が変わるし、家族がものすごく明るくなる、というお話をうかがったとき、スポーツってすごいなあと心から思ったんです。私は水泳ですが、水泳に助けられたことはたくさんあります。それは誰でも同じで、みんなスポーツに助けられたり、成長させられたり。そういう場を誰でも持っていてほしいですし、そういう場がいっぱいできたらいいなと思います。

門田その点、僕の地元の広島はいろいろなものの距離が近いですよ。選手も近いし、距離も近いし、気持ちも近いというか。僕、広島しか知らないんですけど、スポーツセンターは駅から歩いて10分くらいのところにあって、広島駅のすぐ近くにプールと体育館があり、広島で障がい者がなにかスポーツをやりたければ、そこに行けばいいんです。理学療法士も、自分が受け持っている患者さんがスポーツしたいって言ったら、そこの指導員に電話すればOKなんです。

萩原それは、都市によってぜんぜん違うと思います、ある県にお住まいの知人のお子さんがパラリンピックを目指したい、となって、水泳どこで受け入れてくれますか?と聞かれたんです。じゃあ私が探してみますとお答えして、その県のスイミングスクールの知り合いに聞いてみましたが、障がい者は受け入れられない、と断られたんです。公共の施設に聞いても、指導者もいなければ、施設の開放もない、「ちょっと危ないから難しい」という回答ばかりでした。

門田それ、「私が調べてみます」って答えたご自身が、めちゃくちゃつらいじゃないですか。

萩原つらかったですよ。個人的にその子とは何度か一緒に泳いだりしましたが、毎日は見てあげられない。あとは東京のクラブに行ってもらって、定期的に通う、それしか道がないんです。だから、環境ってものすごく大事ですよね。全国で広島みたいにはできないのでしょうか?

門田さっきも少し言いましたけど、そこが僕のやりたいことです。全国各県に必ず障がい者スポーツトレーナーが二、三人いて、もし情報公開をしていいって承諾してくれればですけど、彼らのことをネット上にあげる。障がい者スポーツでなにかあれば、この方に一度メールしてみてください、と。そういうトレーナーが、県内に3人くらいいれば、たとえ一人が対応できなくても、その人の仲間が対応してくれる、ってなるじゃないですか。今、トレーナーの資格を持った人間は100人くらいになったので、2020年の東京までに200人くらいに増やし、東京の前年までには冊子を作ろうと考えています。各競技の特殊性とか、この種目ではここが壊れやすいから、初めてトレーナーとして入る人は、ここのテーピングはできるようになって、ここのマッサージが上手になってるといいですよ、みたいなことが書かれてある手引きです。それと、各都道府県でのワークショップを東京のオリンピック・パラリンピックイヤーにかけてやってもらう。公共のスポーツセンターの指導員が必ず障がい者スポーツ指導員の中級以上は持っている、となれば、プールはあそこに行けば泳がせてくれる、もしくは、とりあえずは水につかるというトライアルをさせてもらえる、となるじゃないですか。

萩原門田さんは広島といういい環境で障がい者スポーツと関わってこられたんでしょうね。そのフィールドがあったからこそ、こっちに来て、えっ? って気付けたことがいっぱいあったのでしょうね。

門田そのとおりです。いつも講演の時に言うんですけど、広島市の身体障がい者スポーツセンターに山下さんと久下さん(他界)っていう指導員の方がいらっしゃる。この2人に出会わなかったら、僕はいまここにたぶん座ってない、と。講演の最後にはその2人の写真を出して、皆さんも地元の障がい者スポーツ指導員ととにかく仲良くなってください、と言います。指導者の方や指導員の方とコラボする、僕にとってはその出会いが今やっている事を始めるきっかけとなりました。このきっかけの作り方はみんなにも知って欲しいんです。そうすれば、第二、第三の僕みたいな人が出てきて、もっともっとトレーナーの世界が広がるはずですから。

<次のページへ続く>



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