スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

今村大成
FOCUS
TAISEI IMAMURA
今村大成の足跡

デュッセルドルフの父と呼ばれて

本当に面倒見の良い方と巡り会えた

2000年だったと思います。当時、日本卓球協会はマリオ・アミジッチという極めて優秀なクロアチア人コーチと契約を結んでいました。彼は当時ドイツのプロ卓球リーグ、ブンデスリーガに所属するデュッセルドルフでコーチを務めていて、その彼が年に数度来日し指導をしたり、あるいは選手たちがドイツへ行ったりしながら、強化活動を続けていました。

そのアミジッチがある日私にこう言って来たんです。「なあマエハラ、いっそ子供たちをドイツに住まわせて、ブンデスリーガでプレーさせたらどうだ?どんなに優れた資質と才能を持った選手でも、最高の環境の中で、最高の相手とトレーニングや試合を繰り返さなきゃ、強くならないぞ」と。そこを転換期として、卓球協会としてもJOCや日本スポーツ振興センターの海外研鑽活動の制度を活用しながら、才能のある若い選手を積極的に海外へ派遣し、ドイツを拠点とした育成システムが始まったんです。

そんな流れの中、今村さんには色々とお世話になりました。彼の最大の功績はやはり、本来なら卓球協会がやらなければならない様々なマネージメントを、引き受けてくれたことだと思います。例えばクラブ探し一つ取っても、当時の卓球協会には新たに人を雇い、ドイツのクラブとの間に入って契約を結ぶところまで行う人件費の余裕はありませんでしたし、ノウハウも持っていませんでした。また今村さんは、アミジッチの指導のもと、日本人選手たちがデュッセルドルフで練習できるようクラブと交渉してくれたり、住まいを手配してくれたり、光熱費など生活の中での様々な支払いを済ませておいてくれたり、そういう面でも協力してくれました。
あの当時ドイツでプレーした選手たちは今でも彼のことを慕っていると思いますし、私自身も本当に面倒見の良い方と巡り会えたなと感謝しています。
(公益財団法人日本卓球協会副会長 前原正浩氏)

ドイツでやりたければ、今村さんに頼めばいい

世界最高峰のブンデスリーガで腕を磨いてみたい、そういう日本人卓球選手が現れ始めたのは1990年代半ば、今村がドイツに渡ってちょうど10年が過ぎた頃からだった。

「やはり、松下浩二選手がドイツに来てからでしょう。彼の場合、正直最初から1部リーグでスタートするのは難しかったのですが、知名度も高く、どのくらい優れた選手かもすでに知られていたので、さほど難しい問題はありませんでした」

今村はその年の春に開催されたドイツナショナル選手権の会場で、いくつかのクラブの首脳陣に松下浩二がチームを探していることを打診し、名乗りを上げたプリューダーハウゼンとの契約書をまとめ、住居の手配をした。

そしてシーズンが始まるとすぐ、1部リーグに所属する幾つかのクラブに再びコンタクトを取り、結果翌シーズンの松下はブンデスリーガの強豪ボルシア・デュッセルドルフの一員としてチャンピオンズリーグでもプレーすることとなった。

ドイツで卓球をやりたければ、今村さんに頼めばいい。日本の卓球界には、いつの間にかそんな話が広まっていった。

<次のページへ続く>



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