スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

今村大成
FOCUS
TAISEI IMAMURA
今村大成の足跡

デュッセルドルフの父と呼ばれて

わずか4ヶ月の語学研修を経てドイツへ

彼を卓球の世界へ引き戻したのは、すでに社会人として働いていた妹だった。

「就職活動を始めた時、短大を出て銀行で働いていた彼女に、どこか小さくて面白そうな会社はないかな、と訊ねてみたんです。仕事柄、そういうことを知っているかなと思いまして」

1週間ほど経って、妹は兄に二つの会社の名前を告げた。そのうちの一つが、タマスだった。今村自身は現役時代他社のラバーを使っていたが、タマスというのがバタフライという卓球ブランドを扱う会社であることは知っていた。

一次試験に合格し、今村は本社の会議室で行われた二次面接に進む。

面接室に入ると、目の前には創業者である社長を中心に、役員クラスの面々が並んで座っていた。幹部の一人が、君は卓球やっていたんだね?と切り出した。

はい、やっていました、と今村は答えた。

次に口を開いたのは、社長だった。使っていたラバーは何?

今村は正直に同業他社が出していたラバーの名前を挙げた。社長は興味深げに今村を見つめ、さらに質問してきた。その会社のラバーはうちのラバーとどう違うの?

今村が、全然違います、と答えると、社長の隣にいた開発担当者らしき人物が力説し始めた。社長、二つとも性能は同じものです!

今村はもう一度正直に言い切った。いえ、あの二つは全くの別物です。

目の前では社長と開発担当者がラバーについて、自分の面接をそっちのけで話していた。今村は、これは落ちたな、と確信した。

予想に反し、翌年の春から今村はタマスの正社員として働き始める。
まず製造現場に回されて様々な研修を受けたのち、輸出部に正式配属、2年後にはドイツへの赴任を命じられた。

「1984年の4月です。4ヶ月のドイツ語の研修を終えると、いきなり現地の方々との仕事ですから。まるで泳げないのに水の中に落とされたような感じでした」

赴任先はメールス、デュッセルドルフ近郊の町だった。仕事の内容はスポンサリング、各国協会との契約、トッププレーヤーとの個人契約、イベントの企画と実行、商品販売の手伝いと多岐にわたった。

当時卓球の世界ではまだ東ヨーロッパの国々が強く、出張は東欧方面が多かった。ソ連、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ポーランド、今村の会社はそれらの国の協会と契約していた。チェコスロバキアに行った時、地元の人々から、トヨタ、ソニー、バタフライと何度も言われ、自分の働いている卓球用具の会社がそこまで有名であることに驚かされたこともあった。

「でも、東欧への旅は正直嫌でした。国境でまず1時間は車を止められて、執拗な検問があって。車は車体の下まで全部チェックです。トランクに積んだバッグの後ろに人間を隠し、東側から西側への国境を抜けるような時代でしたから。個人的にもそうやって亡命した人たちを何人も知っていましたし」

<次のページへ続く>



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