スポーツチャレンジ賞




美しいスケートを求めて

現在、樋口は東京の千駄ヶ谷にある神宮アイススケート場でヘッドコーチを務めている。毎朝7時過ぎに起き、軽い朝食をすませると、自宅からスケート場まで歩いてゆく。レッスンは朝8時から始まり、遅いときは深夜前まで続く。
対象はオリンピックを目指すエリートから一般人まで様々だ。中には80歳を過ぎてもまだ、1センチでも高くジャンプを飛びたいんです、とがんばっている生徒もいる。我が子に期待しすぎる親もいれば、才能はあるのに周囲の期待に応えきれない若者もいる。
生徒のレベルの高低にかかわらず、樋口は同じ熱意でコーチングに当たる。特に子どもたちには、ことさらの愛情を持って接することを心がけている。彼らは家庭よりもスケート場でより長い時間を過ごす。コーチを務める人間は、その事実を真摯に受け止め、大きな責任を負わなければならない、と樋口は思う。
昔も今も、スケートを教えることへの情熱は変わらない。そして、さぼる子どもが許せないのも、変わらない。できるかできないか、それは他人との比較であり、同時に各々の選手自身の中での比較でもある。

コーチを始めたばかりの頃、樋口は生徒に厳しかった。自分が滑っていたときはそれほどでもなかったのに、子どもたちにはなんとか勝たせなければ、と焦りもした。声も荒げた。
その後、40年という長い年月をかけて、樋口は少しずつ自分なりのフィギュアスケートに対する哲学を確立していった。樋口豊の哲学、それは一言で言えば「美しく滑る」ということに尽きるだろう。
飛んだり跳ねたりのスケートは、樋口自身は正直それほど好きではない。しかしフィギュアスケートはあくまでも競技スポーツであり、アイスショーではない。故に、もしそれが勝つために必要なのであれば、ジャンプのトレーニングだってしっかりとしなければならない。時代は移り、ルールも少しずつ変わってゆく。指導者である以上、そこに敏感に対応してゆくのは当たり前のことだ。

しかし、と樋口は強い口調で続ける。ジャンプを成功させても勝てない選手だけは育てたくないんです。ジャンプは才能によるところが大きいけれど、美しく滑る技術は、正しいコーチングと正しいトレーニングで必ず身に付くはずなのですから。
ここ数年、フィギュアスケートを学ぶ子どもの数は増え続けている。それは喜ばしいことではあるが、残念ながらリンクの数と広さには限りがあり、練習の順番を待たねばならない子どもたちもいる。リンク上で順番を待ちながら、友人たちとのおしゃべりにいそしむ生徒たちに、樋口は時折こんな言葉を投げかける。
スケート場だけがスケートの練習場所ではないでしょう?
もしそこに滑るスペースが見つからないのなら、たまには近くの新宿御苑まで足を運んで、季節ごとの表情を見せる木々や草花を眺めてくるのもいい。なぜなら、美しい自然、それもまたあなたのスケーティングになにか特別なものを与えてくれるはずだから。
つまるところ、美しいスケートとは、滑る人そのものにあるのだから。
<了>
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