第12回 YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング

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特別講演

日時 3月2日(土) 13:00〜
講演者 源 純夏
徳島ライフセービングクラブ代表
徳島県水泳連盟理事
日本ライフセービング協会 サーフ・アドバンス・ライフセーバー
大阪ライフサポート PUSH 認定インストラクター
SUPA 公認インストラクター
演題 負けたのに「楽しめました」は本当か?
講演概要 私がオリンピックを目指すアスリートだったとき、忘れられない出来事として、あるメンタルブロックが外れた瞬間があります。その際同時に、なぜメンタルブロックがかかってしまっていたか、その理由にも気がつきました。この経験は競技成績を伸ばすきっかけであり、それまでの苦しみから解放されるきっかけでもありました。そのきっかけは自分の直接的な行動ではなく、ある出来事を見て気づいたことでした。
また、個人競技は個人と言いながらもチームの力を支えとします。チーム競技はチームの力のために個人の能力を必要としています。私の現在の活動は競技ではないけれど後者であり、その目標は「なにもない」ことです。当然、この「なにもない」状態は決してネガティブなことではなく、チャレンジャーの皆さんのメンタリティにも大きく関係することになります。

講演タイトル:負けたのに「楽しめました」は本当か?

源 純夏氏

目標までの紆余曲折
アクシデントはジャンプアップのチャンス

みなさん夢を持っていますよね?
今できないことがある。これってすごいことだと思うんです。できないからこそ、できるようになりたいとか、できることをどんどん増やしていきたいというのは、チャレンジです。
そういうチャレンジを積み重ねていって、目標や夢の達成につなげていくのですが、現時点から目標までは、真っ直ぐ直線でつながっているイメージですか? 私が思う、目標に向けての過程は、いいこともあれば悪いこともある、山あり谷ありの曲線が、一般的かと思います。
そんな紆余曲折の中で、落ち込んだところから這い上がっていく、私の話をしたいと思います。

まず一つ目、怪我の話です。1999年7月21日のことです。オリンピックのプレ大会に向けた合宿の1週間前でした。体調が少し悪く、夕方の練習を休んだんです。雨が降り始めたので洗濯物を取り込みました。わーっと取り込んで、後ろ手にドアをバーンと閉めた。その勢いで、右手の薬指が薄皮一枚で繋がっている状態になってしまったんです。

近くの病院では診てもらえず、2つ先の駅の大きい病院に行ったところ、たまたま当直が整形外科のドクターでした。さっさと治して欲しいと伝えたら、先生が「この先ちょん切ったら早く治るよ」と言うので「じゃぁそうしてください」と返したんです。みなさんも自分に置き換えて考えてみてください。「ちょん切って」って言うと思います。

その先生はパニックになっている私に、本当に大切なことを教えてくれました。「確かに夢を叶えること、目標に向けて頑張ることはとても大切。自分も応援したい。でも、夢を叶えるには、あなた自身の体が健康で、丈夫でなければならない。せっかくご両親からもらった身体で、治る可能性があるなら、あなたは自分自身のためにちゃんと治した方がいい。頑張る自分を大切にしなさい」と説得してくれたんです。

源 純夏氏

私は直す決意をしました。傷口が大きい開放骨折だったから1週間の入院。その後、3カ月間、泳ぐことを奪われたんです。自分の些細なミスで。翌年オリンピックが控えているタイミングに。

そこで気づいたことがありました。それまで私は、ずっと一人で頑張っている、泳いでいると思っていたんですよね。でもそうじゃなかった。怪我をしたのが利き手だったので、最初の頃は結構生活に不自由していました。家族や友達が順番に来て、みんなが私を助けてくれたのです。私の些細なミスで怪我したのに。私が夢を持って頑張りたいことを知っているから。私って一人で頑張っているんじゃないんだなと実感した。しかもその時初めて、「私、水泳が好きだったんだ」と気付かされました。

だから怪我が治って、泳げるようになった時に、1回1回の練習の質が変わりました。泳げることへの満足感とか、泳げることの幸福感とか。すごく感じました。これは一度奪われないと気づけなかったことだと思います。

理想は、現状から直線で夢に向かうことですよね。何もない方がいいに決まっています。常に前進、常に前年比何パーセントで上昇できる方がいいです。でも、何かアクシデントが起きる。そんな時は、そのアクシデントを利用してやろうというくらいの気持ちが必要です。アクシデントで落ちてしまった後、ジャンプアップします。戻る先は、元の位置ではありません。さらに上に伸びていける、そういうチャンスじゃないかなと思います。

心理的スランプを抜け出す秘策はただ一つ、諦めない

もう一つ、メンタル的な話があります。
ある時、私の中で、気持ちがすごく落ち込むことがありました。それでも日本選手権では優勝していたんです。でも、ずっと不安だった。勝って当然、そういうシチュエーションに立たされたんです。ある日突然です。勝っている私でないと認めてもらえない、という恐怖があった。戦うのも、泳ぐのもすごく辛かった。

第12回 YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング 特別講演

だけど、私と同じように勝つのが当然と思われていた、同世代の選手がある大会で、私の目の前で負けたんです。負けたのを見た瞬間、私、思いました。負けても死なないんだ。負けてもいいんだと。
勝てなければ自分の存在を証明できない、さらに言うと、負けたらそれまで頑張ってきたことも全て否定されるのではないかという恐怖にがんじがらめになっていた。でも1回負けたくらいじゃ、それまで頑張ってきたことは否定されないと言うことを見て、勇気が湧きました。

もっとぶつかっていけるなって思いました。負けてもいいんだって、目の前が開けた瞬間、めちゃくちゃタイムが良くなりました。心も軽くなって、どんどんチャレンジできる、って思いました。
どうして再起できたのか。これはもうただ一つです。諦めないこと。これは本当にそう思います。

頑張る・努力は当たり前
プロセスをひけらかすのではなく結果で評価を受ける

目標までの道筋は、まっすぐでも、くねくねでもなんでもいいのだけれど、あくまでもプロセスなんです。プロセスと結果、これって全然違うものです。特にプロセスは、感覚的には自分に向いているものだと思って欲しい。だからプロセスの途中で、「私、これだけ頑張っています。認めてください」というのは違うと思います。ここは謙虚になってほしいところです。結果を出して、その結果で評価してもらってください。これが、スポーツの非常に厳しいところであります。

私、オリンピックで金メダルを取ることが夢でした。実際手にしたのは銅メダルです。得たものは目指していたものと違います。だけど、金メダルを目指して頑張ってきたこのプロセスは、自分にとって金メダルと同じくらいの価値があります。金メダルを目指していたからこそ、辛いことも乗り越えられたって言えます。これが銅メダルを目指していたら、途中でおそらく妥協していたでしょう。なので、目標は大きく明確に持って欲しい。みなさん実践していることだと思います。

ただ、時々いるんです。このプロセスにこだわりを持っちゃう人。途中でつまずくこと、失敗すること、負けることって当然だと思います。完全無欠なんてないです。でも、自分がまだこのプロセスの途中にいて、今の負けた自分は本来の自分じゃない、と結果を認められない人。「いやぁ、負けたけど楽しかったです。自分、よく頑張って惜しかったです」みたいなことを言う人です。

第12回 YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング 特別講演

こんなのただの言い訳ですよね。なにも成し遂げていないのに。そりゃぁ頑張っているかもしれない。それで、「楽しかった」と言う言葉で自分を肯定しようとする。自分を肯定することはすごく大切だけど、ちょっとそれは方向が違いますね。そこはある意味、謙虚さが必要なところだと私は考えています。
頑張るって当たりまえです。努力して当然。どうやって頑張っていくか、というところが、これからの皆さんに必要なんじゃないでしょうか?

みなさんが、活動していて、スポーツをしていて、研究をしていて、楽しいと思うのはどんな時でしょうか。どんな楽しいを人と共有したいか。ちょっと考えてもらいたいと思います。
忘れないでください。プロセスがあって結果がある。周りからは、結果で評価される。だからこそ、目標にたどり着くまでに、どれだけのプロセスを踏んだらいいのかは、ぜひとも考えていただきたいですね。

ところでみなさん、自分は褒められて伸びる方ですか? それとも、尻を叩かれて伸びる方ですか? 褒められて悪い気はしないなと言う人、褒められて嬉しいと思う人、これってすごく大切なことだと思うんです。

実は、結婚して18年になる私の主人は、私のことをすごく褒めてくれるんです。「あなたが頑張ったことは本当に素晴らしいことだし、あなたは本物なんだから多くの人に伝えなさい」ってずっと言ってくれています。それでようやく自分がやってきたことを誇れるようになりました。

みなさん、身近にちゃんと自分のことを褒めて認めてくれる人っていう存在を作ってほしいと思います。ただむやみやたらに、っていうことではないけど。ちゃんと評価して、優しい言葉をかけてくれる人の存在って大きなことだと思います。

みなさん、好きな人いますか? 恋愛してますか? 大事なことですよ。


講演者

特別講演
プロフィール

源 純夏(みなもと すみか)

シドニーオリンピック競泳銅メダリスト
日本人女子初のオリンピック短距離種目のファイナリスト

四国・徳島で生まれ、小学1年生のときに地元のスイミングスクールで水泳と出会う。決して恵まれた環境とは言えない地方で水泳を続け、高校2年生でアトランタオリンピックに出場。しかし実力をまったく発揮できず、さらに水泳に打ち込める環境を求めて上京、中央大学に進学。大学3年生で迎えたシドニーオリンピックでは日本人女子初の短距離種目のファイナリストとなる。また、4×100mメドレーリレーではアンカーとして日本の銅メダル獲得に貢献した。
大学卒業後はテレビ朝日勤務を経て、地元・徳島に戻る。子どもから大人までの生涯スポーツとしての水泳指導をメインの活動としながら、街づくりや環境保全活動に興味を持つ。また、自分の泳ぐ能力を社会に活かす方法を模索していく中でライフセービングと出会い、自ら「徳島ライフセービングクラブ」を立ち上げ、ライフセービングを通じて水の楽しさや命の大切さを伝えている。また、スタンドアップパドルボード(SUP)のインストラクターとして多くの人に水との楽しい関わり方を教えながら、選手としても数々のレースにチャレンジしている。


  • ※2018年2月28日現在
  • ※敬称略