第11回 YMFSスポーツ・チャレンジャーズ・ミーティング

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スペシャルレポート

テーマ 平昌オリンピックを振り返って
コーディネーター 高嶌 遥氏
早稲田大学、元アイスホッケー女子日本代表(スマイルジャパン)
報告者 竹内愛奈氏
アイスホッケー女子日本代表(スマイルジャパン)
概要 先日開催された平昌オリンピックに、スマイルジャパンの一員として参加した竹内愛奈選手の“平昌オリンピックへの挑戦"について振り返る。竹内選手は、体験チャレンジャーとして、ソチオリンピックからの4年間、“平昌オリンピックでのメダル獲得"を目指してきた。目標達成のために、彼女自身が挑戦してきたことやそのことを通じて何を学び、どのように自分の力に変えてきたのか、そしてオリンピックで感じたこと・課題・今後にどのように繋げていきたいかについて、皆様に報告してもらう。また、私自身が現役引退後、日本オリンピック委員会及び民間企業で現役アスリートのキャリア支援に携わってきた経験と、竹内選手のこれからについても触れながら、アスリートの“デュアルキャリア"の重要性についても考えてもらう時間としたい(高嶌)。

「すべてを出し切った結果に、誇りを持ってほしい」 ―― 髙嶌

髙嶌私は5年前に引退しましたが、竹内さんとは一度だけ一緒に国際大会に出場したことがあります。チームメイトとしてプレーした時間はそれほど長くないのですが、きょうは普段どおり「愛奈」と呼ばせていただきます。
日本選手団として数日前に帰国したばかりで、まだゆっくり振り返る時間を持てていないとは思いますが、きょうはよろしくお願いします。

竹内大会が終わって感じるのは、本当にあっという間に終わってしまったということです。4年前のソチが終わってから、私たちは平昌に向けて準備を続けてきたので、こんなに一瞬で終わってしまうのか、もっと試合がしたかったという思いです。オリンピックで戦った相手は、日本よりもランキングが上の国が多い。そのようなチームと試合ができるのが本当に楽しくて、まだ終わってほしくないと試合を終えるたびに感じていました。
私たちはメダルを取ることを目標に掲げてやってきましたが、残念ながらそこには到達できませんでした。初戦のスウェーデン、そして2戦目のスイスと戦ってみた時点で、日本はまだまだ上位の国と較べたら足りないところがあると感じました。一方で、だからこそノビシロがあると前向きにもなれました。

髙嶌力不足と感じたのは、具体的にどのようなところですか?

竹内まず、日本の強みは、小回りが利いたプレー、細かいプレーができることです。相手のスティックが届かないところで細かいパスをつないだり、一つハンドリングを入れたりということですね。もう一つ、体力も日本の強みでした。
逆に自分たちに足りないと思ったのは、パックに対する瞬間的な反応のスピードです。一瞬のスピードで、自分たちのパックにできるか、相手につぶされないで逃げ切れるかという場面で、私たちはまだ戦えていないと思いました。

髙嶌ソチから4年間、スマイルジャパンはメダル獲得を目指して取り組んできました。その中で、やれることはすべてやったという実感がきっとあると思います。その取り組みや結果については満足していますか?

竹内6位という結果に対しては、まったく満足していません。今回は日本選手団が過去最多のメダルを獲得したこともあり、私自身は日本に帰るのが恥ずかしいとさえ思いました。メダルが欲しかったし、最低でも4位には食い込みたかったので、悔しさでいっぱいです。

髙嶌それがきっと正直な気持ちだと思います。でも私は外から見ていて、すべてを出し切って得た結果だったと思いました。だからそれに対して誇りに思ってほしいと思います。課題として浮かび上がったこと、できなかったことは、今後につなげていってほしいと。
今回は23人のメンバーのうち、15人が前回のソチ大会を経験した選手でした。中でも愛奈の同世代が非常に多くて、中心メンバーとして活躍しました。私は以前から「この世代が日本のアイスホッケーを背負っていくのだろう」と感じていました。

竹内そうですね。私たちの世代だけでチームの半数を占めています。U-18から一緒にプレーしてきた選手も多いんです。ですから自分たちが先頭に立って、未来を切り開きながら競技の素晴らしさや楽しさを広く伝えて、日本女子アイスホッケー界をけん引していく使命があると感じます。

髙嶌初めて出場したのはソチ大会。4年前を振り返るといかがですか?

竹内初めてのオリンピックでしたから、選手村に入っても、会場に行っても、見るものすべてが新鮮で、すべてに感動していました。浮ついた心があったわけではありませんが、わくわくした気持ちでしたね。ただ、試合に関していえば、初めてのチャレンジで、結果を気にせず、自分たちが持っているものをすべて出し切ろうという気持ちでした。
5戦全敗という結果に世界との差を突き付けらましたが、その悔しさがあったからこそ、選手それぞれが海外に出て行ったり、代表合宿のアプローチが変わったりということができたのではないかとプラスに考えています。

髙嶌ソチが終わった後、愛奈もYMFSの助成を受けて3シーズン海外でチャレンジしました。カナダはアイスホッケーの世界最高峰。どんな気持ちでそのチャレンジを決意したのですか?

竹内ソチでは、自分たち、自分のプレーが全然できなくて、本当に悔しかった。だからアイスホッケーを一から学び直そうという気持ちでした。私が所属していたカルガリーのチームは、平昌オリンピックにもカナダ代表を11人送り込んだ強豪です。そういう選手たちと毎日練習することで、得たものは非常に大きかったですね。

「きついトレーニングを皆で乗り越えてきたという、一体感と自信があった」 ―― 竹内

髙嶌一つのオリンピックを終えて、また4年後を目指すということを決めるまでには、相当な覚悟も必要でしょうし、モチベーションを維持するのも大変だったと思います。その原動力となるようなことが、カナダにはありましたか?

竹内カナダにいる間、常に頭の片隅には平昌がありましたが、一方でカナダに渡ってから、あらためてアイスホッケーの楽しさに気づきました。カナダではアイスホッケーが国技。観客の数や応援の仕方にも驚きましたし、もう本当にアイスホッケーが楽しくて仕方がなかった。ですから平昌まであと何年という感覚ではなく、1シーズン1シーズンを全力で楽しんでいました。

髙嶌カナダの選手たちから学んだことで、特に印象深いものがあったら教えてください。

竹内一番は、コミュニケーションを取ることが上手ということです。日本だと先輩・後輩といったように、壁がまったくないわけではありません。でもカナダの選手は、良いときも悪いときも自分の考えを言い合うし、コーチやスタッフに対しても挙手してしっかり意思を伝える。私はそうした姿を見ながら、この雰囲気を日本代表に還元しなければ、と思いました。

髙嶌個人の競技力向上のために海外に渡ってレベルアップを図ることはもちろん大事です。ただ、アイスホッケーはチームスポーツなので、チームとしてどのように向上していくかという視点も大切です。ソチ大会から、チームとして変わったことがあれば教えてください。

竹内それぞれのメンバーが、チームの中で役割を担うことで、コミュニケーションがとてもよくなりました。コミュニケーションが得意な選手をグループとして固めておいたり、分析が得意な選手がいたら分析のチームで固めたり。自分の得意な部分でそれぞれがチームに貢献をしていました。

髙嶌戦い方の話も聞いてみましょう。愛奈はフィジカルも強い選手ですが、日本人は外国人に比べると小柄な選手が多い。小柄な日本チームが海外の選手と戦っていく上で、どのような取り組みが行われてきたのですか?

竹内直近の2年間は、特に体力強化が進みました。3ピリオド合計60分間走り続けられる体力づくりを目指してきました。走り回って相手を手玉に取るというイメージをもって、強化を重ねてきました。

髙嶌一人一人がシステムや戦術をきちんと理解して、しっかり実行するというところも日本の強みとして垣間見えました。

竹内個人のスキルが高い国にどのように対抗していくか。それを日本は体力+チームの約束事と考えました。全員がシステムをしっかり理解して、誰がどんな場面で出ても確実に実行するため、勉強会なども頻繁に開かれました。

髙嶌それでは、心技体の視点から伺います。私自身も選手たちと話をしたり、取材をする中で、皆がメンタル面も含めて、満足のいくトレーニングをしていたように感じます。そういう周到な準備をしてきたので、あとは試合で結果を出すのみだと、そんな気持ちで皆が挑んでいたように見えましたが、そのあたりのコントロールはいかがでしたか?

竹内本当にきついトレーニングを全員で乗り越えてきた一体感や自信が、自分たちにはありました。「オリンピック本番で相手と向かい合ったときに、自分たちはやり切ってきたから、あとは自分たちのプレーをするだけだと思えるまでやれ!」と、監督から常に言われていました。ブルーラインに並んだとき(試合が始まるとき)、そう思えるようになろうということで皆がやってきた。ですから、心の面を含めてしっかり準備できたと思います。

「アスリートとして培った能力は、次の道でも大きな武器になる」 ―― 髙嶌

髙嶌これまで4年間、もちろん楽しいことや嬉しいことばかりでなく、つらくネガティブになってしまいそうになった経験があったのではないかと思いますが、いかがですか?

竹内私は膝のけがが多くて、両膝の前十字靱帯を切ってしまい、手術を繰り返すということがありました。平昌の選手選考のタイミングでも膝を痛め、そのストレスで落ちるところまで落ちたということもありました。そうした中で家族やチームメイトにも支えられTeam、治療しながら何とかけがと付き合ってきました。

髙嶌そうした精神状態からどのように自分の気持ちを切り替えたんですか? 何かきっかけがあったのですか?

竹内自分の好きなように過ごす時間を大切にしました。たとえば私は寝ることが好きなので、ストレスがたまったら寝てばかりいたり(笑)。少し時間はかかりますが、焦らず、自分の気持ちをうまくコントロールするよう心掛けました。

髙嶌愛奈は自分を客観的に、もしくは主観的に見て、どのような人だと思いますか?

竹内以前、日本代表でストレングスファインダーというものをやって、自己分析をしたことがありました。その結果は、協調性が高い、あとはチームの雰囲気というものをすごく感じやすいということが出ました。皆と話をしたりすることが好きなので、コミュニケーションに関しては良いところかなとは思います。

髙嶌私は5年前に引退して、その後、日本オリンピック委員会でアスリートの就職支援をしたり、企業で現役のアスリートを採用するような立場も経験しました。その中で、自分自身も選手だったということもあり、デュアルキャリアという考えがとても大切だと身に沁みています。
愛奈も次の北京オリンピックを目指すのか、それとも新たな道に進むのか、まだ私には分かりませんが、もし将来の目標など、お伝えできることがあれば教えてほしいと思います。

竹内アスリートだからどう、日本代表だからどうと考えることは特にないのですが、人として、選手として大事だと思うのは、人とのつながりというものです。誰かが力を貸してくれたり、また私たちが力になったりすることもあると思いますが、人との関係づくりには、基本のところが重要だと私は感じています。挨拶であったり、気遣いだったり、そこは競技を続ける上でも、また引退した後でもしっかり続けて、見失わずにいたいとは常に思っています。

髙嶌ありがとうございます。きっとアスリートとして培った能力は、次の道でも、社会に出ても、一つの大きな武器になると思います。最後に、愛奈さんからチャレンジャーの皆さんにメッセージをお願いします。

竹内あまり大きなことは言えないのですが、YMFS助成のOGとして言わせてもらえるのであれば、自分が今できることを楽しんで、一生懸命それに向かってやっていけば、きっとたくさんの方が応援してくれて、たくさんの方がサポートしてくれます。志に向かって努力を重ねれば、結果もきっと付いてきます。皆さんのご活躍を期待しています。私も頑張ります! ありがとうございました。


コーディネーター

高嶌 遥氏
プロフィール

高嶌 遥(たかしま はるか)
早稲田大学
公益財団法人日本オリンピック委員会 表彰専門部会員
公益財団法人日本アイスホッケー連盟 国際委員会委員
当財団 スポーツチャレンジ体験助成 第4・5期生

2006トリノオリンピック最終予選、2010バンクーバーオリンピック最終予選に日本代表として出場。2010年、早稲田大学スポーツ科学部卒業後に海外移籍。2010年より、スイス女子アイスホッケートップリーグ「ZSC Lions」やドイツ女子アイスホッケーブンデスリーガ1部「OSC Eisladies Berlin」に所属。2013年に帰国。三菱電機株式会社に入社後、公益財団法人日本オリンピック委員会出向を経て、2017年より早稲田大学。現在も、公益財団法人日本オリンピック委員会 表彰専門部会員、公益財団法人日本アイスホッケー連盟 国際委員会委員、平昌オリンピックなど、アイスホッケーの解説者としても活躍。


報告者

竹内 愛奈氏
プロフィール

竹内 愛奈(たけうち あいな)
アイスホッケー女子日本代表(スマイルジャパン)
当財団 スポーツチャレンジ体験助成 第9・10期生

日本代表として2014ソチオリンピックに出場。2015年より世界最高峰と言われるカナダ女子アイスホッケーリーグの強豪「Calgary Inferno」に移籍し、チーム所属2年目にはレギュラーとしてリーグ優勝に貢献するなど、3シーズンにわたって活躍。2017年には平昌オリンピック最終予選を突破し、日本代表として同オリンピックに出場。コリアとスウェーデンに勝利を挙げ、日本アイスホッケー界過去最高の6位獲得に貢献した。


  • ※2018年2月28日現在
  • ※敬称略