スポーツチャレンジ賞
スポーツ中心のコミュニティにアスリートの帰る場所が生まれる

萩原そういう意味でも、アスリートにとって今回のオリンピックを招致できたことは大きなチャンスだと思うんです。都市部では企業とアスリートの接点というものができてきた。今度はそれを地方に向けてほしいです。地方の公共の市役所であったり体育協会であったり、そういったところが東京都と接点を持つことで、地域も変わっていくし、選手も変わっていく。選手が地元に恩返しができるチャンスも生まれるのかなと、私は思っています。
髙谷もっとアスリートを地域が支え、スポーツを地域が支えるような形ができるといいですね。僕はたまに被災地に行ったりするんですが、例えば石巻の女川町である方にお話をうかがったりすると、女川町って元々スポーツツーリズムみたいな、スポーツを通じて合宿に行ったり、大学生にキャンプに来てもらったりすることで、地域の宿泊施設が潤ったり、経済の一部が支えられていたという町だそうなんです。被災後、女川町は、新しい公共住宅を陸上競技場に作らざるを得なくて、現在は陸上競技場がなくなっているんですが、またそういう施設を作り、「スポーツツーリズム女川」を復活させたいと思ってる方がいらっしゃいます。スポーツが地方の地域経済を支え、スポーツを中心にコミュニティが活性化し、アスリートが帰っていく場所が生まれる。そういうことに2020年を通じて貢献していきたいですよね。

萩原高谷さん、やることいっぱいありますね!(笑)
髙谷でも、まだできてないですね(笑)。明日の何時までにこの資料作らなきゃいけない、みたいな。追い込まれてる状況が多いんで、なかなかそういう大きいところに取り組めないんですけど。
萩原私、今日もイベントで水泳教室をやってきましたが、「目標がある人ー?」って訊いたら、6歳か7歳の子が手を挙げて、大勢がいる前で、東京オリンピックで金メダルを獲りたいです!って。それって今までの日本の子供たちを見ていると、人前でそんな目標を話すってできなかったことだと思うんです。オリンピック・パラリンピックの開催が、あんなふうにマイクを使って言っちゃうくらい、子供たちをポジティブにさせることなんだなって思ったら、すごく感動しちゃいました。
髙谷それは嬉しいお話ですね。職場にいるとそういう話はあんまり聞かないので。ありがたいことです。
4年に1回しか注目されないスポーツをどう可視化していくか
萩原では、最後にもうひとつだけ。広報をこれからやっていく中で、髙谷さんは2020年のオリンピック・パラリンピックのここの部分は、自分の力で変えていける、またはその可能性があるなど、具体的な目標はありますか?
髙谷過去の組織委員会はたぶんやっていないと思うのですが、競技団体の広報と組織委員会の広報がひとつの運命共同体になる、そんな構図を早めに作っていくことでしょうか。地元開催なので、取材の数も増えます。その対応をするための広報スタッフも当然増えていくわけですけれども、チームジャパンというものをゲームズタイムのときだけ作るのではなく、今からちゃんと作ってゆく。つまり広報もチームジャパンになるわけです。4年に1回しか大きな注目を集めることができないスポーツもたくさんあるので、そういうスポーツをどうやって世の中に向けて可視化していくか?そこを一緒になって考えていくことには取り組みたいです。萩原さんはどういうオリンピックになればいいなとお考えですか?

萩原私は選手目線から…私オリンピックで4位だったんです。あと少しでメダルに手が届かなかった。0.16秒差で。もちろんメダルセレモニーにも出れないですよね。でも、ソチ五輪を見ていて、1位から8位の選手をセレモニーに出してあげてほしい、ってふと思ったんです。時間がないからそんなことできない、って言われたらそれまでですけど、メダルセレモニーで1位から3位の選手が目立つのは、8人の真剣勝負があったからこそなんですよね。だったら一緒に称え合えたらいいなって。
私自身、もしあのときシドニーの舞台でそういう場があったら、もっと早く気持ちの整理ができたんじゃないかなって思ったりします。自分よりも力のある選手が1位から3位になったっていうことをその場で称えられていたら、ちょっと変わったのかなって。応援に来てくれたたくさんの人が、決勝を戦った8人の姿をもう一度見られる、称えてあげられる場があったら最高だなって。それが日本の「おもてなし」なんじゃないかなって…。
今日は高谷さんにお会いできて本当に光栄でした。
髙谷僕自身、トップアスリートの方と対談をするなんて企画が、自分の人生において起きると思わなかったです(笑)。こちらこそ本当にありがとうございました。
<了>
写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo
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