スポーツチャレンジ賞

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INTERVIEW
SHOTA NAKAJIMA × TOMOKO HAGIWARA

【対談】中島正太×萩原智子

アナリストとしてのラグビー人生

あえて単年契約で臨んだエディ・ジャパンでの4年間

萩原アナリストというと、なんとなく年配の方をイメージしていましたが、笑。中島さんはまだお若いですよね。

中島この世界では、30代の人が多いです。バレーボールの渡辺さんも僕とほぼ同い年です。みんな年齢が近い分、情報交換も活発ですし、いろいろな面で仕事もやりやすい。話題も似ているし、みなさんフットワークも軽いです。

萩原年齢が若い人はやはり新しいソフトやハードへの反応が早いということも挙げられますね。

中島確かにそうかもしれません。僕自身は、中学の時にWINDOWS98が欲しくて、両親に頼んでパソコンを買ってもらいました。大学に入っても、チームの決め事をパワーポイントでまとめ、仲間に配ったりしていましたから、元々新しいテクノロジーが好きな人間なのだと思います。そんな自分をちゃんと見てくださっていた大学の監督さんには、本当に感謝です。

萩原その後、社会人ラグビーの世界で活躍されて、最終的にはエディ・ジョーンズさんから声がかかったわけですね。

中島未だにエディがなんで声をかけてくれたのか、僕自身はわからないんですけどね。あえて聞いたこともないですけど。

萩原でも当然、代表のアナリストになりたい、という目標はありましたよね?

中島ありました。2019年のワールドカップには、参加したいなと思っていましたし、オリンピックの開会式に出たいというのが、実は子供の頃からの夢だったんです。(ワールドカップ後、中島氏は男子7人制ラグビー日本代表アナリストに就任、編集部注)

萩原エディさんから声がかかった時、どんな気持ちでしたか?

中島協会からの連絡を受けたのは、確かキヤノンイーグルスの練習の後、クラブハウスの食堂でした。最初は信じられなかったです、笑。もちろん嬉しかったですが、僕はまだキヤノンの一員として、トップリーグ昇格に向けて戦っていましたから、この話を聞いて頭がそっちに行っちゃいけない、という自分への戒めは常にありました。

萩原アナリストの方は冷静だから、やったー!とかならないんですよね、笑。

中島なりませんねえ、笑。むしろ、これは絶対にキヤノンを昇格させないとやばいなって。

萩原有名な四部練習の他にも、エディ・ジャパンではいろいろあったと伺いました。楽しかったことももちろんあるでしょうが、本当に苦しかったことはありますか?

中島うーん、エディとの4年間はたしかに大変でした。でも目標があったので、苦しくはなかったです。僕自身はチームとの契約をあえて単年で結ばせてもらっていました。一年目、二年目はチームに貢献することに無我夢中でした。三年目でようやくワールドカップというものが視野に入ってきて、そこからはアナリストとしてどうこのチームを成長させ得るのか、ということを具体的に考えられるようになりました。

萩原どうして単年契約だったのですか?

中島世界でもトップレベルのコーチが率いるチームで、一年目から「こいつ使えねえなあ」って思われながら仕事をするなんて、向こうもこっちも嫌じゃないですか。ワールドカップで勝つために仕事をしているチームなのに、アナリストがお荷物だなんて、みんなに迷惑ですよ。まして僕はまだ26歳、世界で勝つことの意味もわかっていない。だから単年で評価してください、と。

萩原エディさんの仕事は、徹底して準備してゆく、という4年間だったと伺いました。

中島彼の仕事はまず、コントロールできるものと出来ないもの、を分けて考えるところから始まります。例えば、それは天気だったり、グラウンドの状態、あるいはレフリングだったり、です。試合当日の天気を予め知ることはできるし、レフリーがどういうタイプの人か調べることはできるし、グラウンドの状態も前日あるいは一週間前にそこを訪れることで、ある程度の情報は得ることができます。でも当日それがどうなるかは誰にもわからない、だからそこは諦めようという発想です。そういう切り分けで、集められる情報を手に入れ、次はその情報をすべて選手に与えるのではなく、コーチ陣が知っておけばいいこと、リーダーが知っておけばいいこと、という風に割り振るんです。

萩原いろいろな分析を生かして、チームの方向性を決めたり、情報を共有したりという中で、日本代表はそのデータを選手一人一人がiPadを使っていつでもアクセスしていたのですよね?

中島ラグビーにはプレイブック、いわゆるチームの決まりごとが書かれているものがあります。自分たちのプレーにおけるベーシックな約束事、フォーメーションの動き、スクラムを組んだ際どういう合図でどう押すのか、そんな決まりごとです。元々はそのプレイブックを紙ベースで作っていたのですが、キャンプを重ねるごとにバージョンアップして、最後は180ページほどのものになっていました。これでは、読むほうも大変です。もっと選手が簡単にアクセスでき、知りたい情報を素早く見たり読めたりする、じゃあiPadを活用しよう、ということになったわけです。

<次のページへ続く>



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