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江黑直樹

【コラム】江黑直樹~できない、という人をできるようにしてあげたい人

OPINION
NAOKI EGURO

できない、という人をできるようにしてあげたい人

近藤篤 = 写真・文
Text&Photograph by Atsushi Kondo

福岡市の西の外れにある国立福岡視力障害センターを訪れたのは、8月下旬の週末だった。

外では強い雨が降っていて、センターに併設する体育館では、江黑直樹監督が率いるゴールボール女子日本代表チームの強化合宿が2日間にわたって行われていた。

監督にはすでに一度、現在彼が勤務する国立障害者リハビリテーションセンターで話を聞かせてもらっていた。福岡にまで足を運んだのはその追加取材が目的だった。映像で見たことは何度かあったゴールボールという競技を、僕が生で観てみたかったということもある。

ゴールボールで使用されるボールは、重さが1.25キロ、大きさはほぼバスケットボールのボールに近い。中に鈴が入っていて、転がすとチリンチリンと可愛い音がする。

日本代表チームは3人1組のフォーメーションの練習をしばらく繰り返した後、若手とベテランに分かれて、ゲーム形式のトレーニングを始めた。

僕はコートサイドでカメラを構え、選手たちの動きをじっと見守る江黑監督の姿を撮っていた。1人の選手が投げたボールが少しずれ、僕の方に転がって来た。そのボールを止めようと何気なく右手を出した途端、バシン、手首を捻挫してしまいそうなほど、その青いボールの衝撃は固く、強く、重いものだった。

このボールを選手たちは前、後半12分ずつ、ひたすら投げては受け止め、受け止めては投げ返す。そのボールの重さに慣れていない人間は、たぶん10投目辺りで肩か肘の関節を痛めてしまうだろう。長身で、リーチもあり、パワーもある外国人選手が思い切り投げたら、いったいどんな強力なボールが転がってくるのだろうか。改めて、ロンドンパラリンピックでしぶとく戦い続けた女子チームのタフさに感心した。

FOCUSにも書いてあるように、その女子チームを率いて金メダルへ導いた江黑直樹監督は、子どもの頃はプロ野球選手に憧れていたそうだ。その人生最初の夢が頓挫すると、今度は中学校の体育教師を目指し、体育大学に進んだ。しかし卒業後、埼玉県の採用試験には受からず、彼は人生の流れの中で障害者スポーツの世界と関わってゆくことになる。

もし仮に埼玉県の体育の教師として採用されていれば、江黑直樹という人は(たぶん)ゴールボールにも出会わなかっただろうし、パラリンピック史上初の団体金メダルを日本にもたらすことにも(たぶん)ならなかっただろう。

さらに、彼の言葉を借りれば「強引にゴールボールに引っ張り込んだ」、ロンドンで金メダルを獲得した3人の選手も、もし江黑直樹という体育教官と福岡で出会っていなければ、ゴールボールなんてスポーツなど存在しない世界に生き続けていたかもしれない。人生の巡り合わせとはつくづく不思議なものだと思う。

できない、という人を、できるようにしてあげたいんですよね。江黑氏のその言葉が僕には強く印象に残っている。

中学生のとき、江黑氏は1人の体育教師からそのポジティブな姿勢を受け継いだ。ナカムラという名の、赴任して来たばかりのその若い教師は、運動のできる生徒もできない生徒も分け隔てなく、授業中も、放課後も、熱心に子どもたちに接し続けていた。

できない、と諦めようとする子どもにとって一番必要なのは、できるようになるまで教えてあげるから、と傍についていてくれる大人だろう。ゴールボールの監督としての江黑直樹氏ではなく、1人の体育教師として彼がどんなふうに子どもたちを指導してゆくのか、そういう彼も見てみたい気がする。

写真・文

近藤篤

ATSUSHI KONDO

1963年1月31日愛媛県今治市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語科卒業。大学卒業後南米に渡りサッカーを中心としたスポーツ写真を撮り始める。現在、Numberなど主にスポーツ誌で活躍。写真だけでなく、独特の視点と軽妙な文体によるエッセイ、コラムにも定評がある。スポーツだけでなく芸術・文化全般に造詣が深い。著書に、フォトブック『ボールピープル』(文藝春秋)、フォトブック『木曜日のボール』、写真集『ボールの周辺』、新書『サッカーという名の神様』(いずれもNHK出版)がある。



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