スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

中島正太
FOCUS
SHOTA NAKAJIMA
中島正太の足跡

歴史的勝利の向こう側

アナリストが見つめた「史上最大の番狂わせ」

2015年9月19日、ブライトン・コミュニティ・スタジアム。その日、中島正太は日本代表スタッフとともに、コーチボックスでワールドカップ初戦、強豪の南アフリカ戦を迎えた。

「緊張ですか? していたといえば、していたかもしれません。でも僕はずっと単年契約で働いてきていたので、どちらかというとW杯までたどり着けた安堵感と達成感の方が大きかったです」

通常のテストマッチと異なっていたのは、エディがいつになくナーバスになっていることぐらいだった。

「あの時僕が考えていたのは、これだけの選手たちが集まって、あれだけのレベルの準備を4年間やってきて、それでもW杯で1勝もできないなら、それは『もう日本はラグビーをするな』ってことなんじゃないだろうか、ということでした」

中島にも、勝てるかどうか、それはもちろん分からなかった。しかしこの3年間、すべきことはもう何もない。それぐらい選手たちはギリギリのところまでやってきていた。

「あの試合は最初から15人全員が良いパフォーマンスを見せていました。タックルも決まっていたし、タックル後の起き上がりも良かった。何より選手たちの表情が落ち着いていたし、用意していたプレーも出せていた」

前半を終えて10-12、日本は予想外の健闘をしている、という程度にしかとらえていなかったゲームは、後半に入っても均衡は崩れない。異様な盛り上がりを見せるスタジアムの一角で、中島はアナリストとして静かに戦況を分析していた。

「残り20分、これが常に日本の課題だったんですが、あの試合ではそこに至ってもチームのパフォーマンスは落ちていなかった。日本はトレーニングの積み重ねを、自信としてグラウンドの上で表現できていました」

後半33分、南アがPGを決め32対29、ゲームは最終章に突入し、試合終了直前、今度は日本が敵陣深い位置でPKのチャンスを得る。エディの狙いはあくまでも引き分けだったが、選手達は南アフリカ相手に勝ちに出た。引き分けで歴史は作れない。スクラム、崩れる、再び組み直してスクラム。

「エディはペットボトルを叩きつけ、ヘッドセットも投げ捨てていました。僕ですか?あえてリスクをとった時の方が、ゲームは良い結果で終わる、そんな感覚はありましたが、日本が南アフリカに勝つという具体的なイメージは浮かばなかったです」

83分55秒、左サイドに走り込んだカーン・ヘスケスがトライを決め、ラグビー史上、いやスポーツ史上最大の番狂わせは完結する。中島の隣では30秒前に激怒していたエディが、満面の笑みで喜んでいた。

<次のページへ続く>



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