スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

中島正太
FOCUS
SHOTA NAKAJIMA
中島正太の足跡

歴史的勝利の向こう側

エディ・ジョーンズとの3年半

2012年4月、中島はキヤノンを去り、ジャパンでの日々をスタートする。エディは予想どおり、いや予想をはるかに超えて、極めて優秀で、極めてエキセントリックなコーチだった。

「僕は朝7時頃に起きるんですが、メールを開くと朝4時にはエディからリクエストのメールがもう届いていますからね」

ラグビーの映像の他にも、他のスポーツ、あるいは指導者についての情報やミーティングを、エディは貪欲に欲した。例えば、華麗なパスサッカーで欧州サッカーを席捲したFCバルセロナの試合の映像、あるいは女子バレーや女子サッカー日本代表の監督達とのミーティング、ジャイアンツの原監督を訪れたこともあった。エディは、日本が世界で勝つために必要な強化方法を模索し、自分の手元に集まるデータをいかに活用すべきかを考え、自分のやり方が間違っていないことを確認したがった。

「日本人だからできない、体が小さいからフィジカルの部分では戦えない。これまで日本人自身が不可能だと半ば諦めていたことに対し、彼はいつも、どうしてそういうネガティブなマインドを持つんだ、それは言い訳だ、と厳しく言い続けました。ラグビーはフィジカルからは逃れられない、だからそこも伸ばすんだ。たしかにそこは日本の強みではない、でもそこから目を逸らし続けていたら、ラグビーは戦えないぞ、と」

より高度のパス、より高度の判断、より高度の振る舞いをエディは選手に求めた。午前6時から始まる過酷な4部練習は有名な話になったが、選手だけではなく、エディは代表に関わる全ての人間に、常に完璧な仕事を求め、それはアナリストも例外ではなかった。

「できない、という答えはエディには存在しません。例えば、いつもは会議室でやるミーティングを、彼は突然グラウンドでやりたい、と言い出す。そのとき僕に求められるのは、できないという説明ではなく、別の選択肢です」

スタジアムの大型スクリーンに映像を流せるのか、もしそれが無理ならグラウンドのそばのロッカールームでミーティングをして、すぐに外に出られる環境を整えるのか。プランAがダメなら、プランB、プランCを用意する。理不尽な要求も多かったが、中島はエディ・ジョーンズという極めて難解な(まるで禅問答を繰り返す僧侶のような)監督との仕事を楽しめていた。

「アナリストという仕事は、基本的にはリアクションの仕事です。無理難題であったとしても、いっぱいリクエストをもらえるということは、それを実現するために考える時間やチャンスを与えられるわけです。リクエストをもらえないアナリストは辛いですよ。何のためにデータを取っているのかもわからない、あるいはそれがまったく生かされない。そういう意味では、僕はセコム時代も、キヤノン時代も、エディからも、リクエストはもらえました。彼らは分析に理解があり、アナリストの使い方を心得ている人達だったと思います」

<次のページへ続く>



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