スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE PRIZE SPECIAL CONTENTS

TAISEI IMAMURA × KOJI MATSUSHITA
野口智博

松下この度の受賞、本当におめでとうございます。

今村ありがとうございます。

松下今村さんと親しくお話しさせてもらうようになったのは、私が97年にドイツ・ブンデスリーガの2部リーグでプレーするようになってからですね。その1年後、私が1部リーグのデュッセルドルフに移籍してからは、よく試合も見にきてくれるようになったと記憶しています。

今村そう、その頃ですね。一緒に飲みに行くようになったのも、その頃からかな、笑。飲めないわけじゃないけど酒は嫌い、って最初は言ってたのに、私がウォッカを飲んでいたら、それなんですか?って訊ねてきて。ウォッカだよって答えたら、じゃあ僕もそれください、なんだ飲めるんだ!って。浩二くんは真面目な選手だったね。

松下そうですね、結構ストイックな選手だったと思います。お酒もそれほど飲みませんでしたね。

今村当時は渋谷浩選手とライバルとして競い合っていた時期だったね。同じカットマンスタイル、同い年、そしてどちらも極めて優れた選手だった。ただ、浩二くんは一発打ったら抜けるボールを持っていた。渋谷選手の方は、何回も何回も打たないとポイントが取れなかった。浩二くんは振りが大きいぶん、逆に細かいところがちょっと弱点でもあったかな。でも、そういう選手だったから、よく名勝負を演じてた。所属クラブでも、だいたい2-2で浩二くんに回ってきて、大接戦で勝つという流れが多かった。

松下デュッセルドルフでは、エースというよりジョーカー的な役割でした。そもそも当時のヨーロッパで一番強いクラブに入ったわけですから。上の二人は世界のトップで、オリンピックでもメダルを取っているような選手でしたからね。その役割には納得して入団しました。当時のブンデスリーガでは、クラブのトップといえばまず中国人選手だったんですね。ただデュッセルドルフはたまたま違っていた。当時のデュッセルドルフはドイツ代表をそのままクラブにしたようなチームで、アジア人を取った経験もなかったんです。その当時、僕のような日本人が入るのは大変なことだったと思います。抵抗感もあったかもしれません。

今村私としては、松下浩二という選手がドイツでやれることは最初からわかってはいたけれど、各チーム外国人枠は1名だったので、その1枠をどうやって手に入れるかは考えなきゃいけなかった。でも別に私が浩二くんを無理やりデュッセルドルフにねじ込んだわけじゃない。浩二くんは2部リーグのプリューダーハウゼンで実にいいプレーを続けていて、ほとんど負けなかったよね。なかなか面白い選手だなと、デュッセルドルフの関係者もしばらく浩二くんのことを興味深く観察していた。日本代表として国際大会でもプレーしていたから、選手の間でも松下は一部で十分やれるよ、という評価があったみたいだし。

<次のページへ続く>



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