スポーツチャレンジ賞

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TAISEI IMAMURA × KOJI MATSUSHITA

ドイツで暮らし、クロアチア人の指導を受けたからこそ

松下あの頃の日本は今ほど強くなくて、世界大会で良くてベスト8、どん底の時はベスト16止まりくらいだったですかね。そのことを考えると、現在の日本卓球界の進化具合には目をみはるものがあります。

今村日本の卓球がここまで伸びてくるなんて、あの頃の私は想像もしていませんでしたよ。浩二くんがドイツで活躍したとはいえ、その後にどんどん日本人選手が続いたわけでもなかったし。ドイツに来ることは来るけれど、プロを目指すというよりは卓球修行みたいな選手がほとんどだったかな。

松下確かにそうでしたね。2001年でしたか、まず岸川聖也が、翌年水谷隼がドイツに来るんですが、彼らにしても最初は3部リーグ、それからしばらく2部リーグでプレーして、最終的に1部リーグに来るまでにはかなりの時間を要しましたよね。

今村多分5年くらいかかったかな。それでも所属クラブでエースの座を手に入れたわけではなかったね。

松下彼らのような才能のある若者でも、負けてチームに迷惑をかけたことは幾度となくあったし、途中で試合を投げ出してしまう、というようなことだってありました。とはいえ、日本の卓球界が大きく変わり始めたのは、やはりデュッセルドルフを拠点にして、日本の若手がマリオ・アミジッチとのトレーニングをスタートしてからですよね。

今村最初その話を聞かされた時は、なんだか随分すごいことをやるなあ、って驚きました。でも、ドイツに呼んで、クロアチア人の指導を受けたからこそ、今の彼らの卓球があるんじゃないかな。

松下そうですね。水谷隼も岸川聖也も明らかにドイツで育った卓球選手ですね。

今村日本で教えられるような、一所懸命フォアハンドで動き回るような卓球ではなく、それぞれが個性的な卓球をやるんだよね。自由な卓球とでもいうのかな。

松下そうなんですよね。日本人っぽくないというか、それぞれがその時代の最先端の技術、世界仕様の技術を身につけながら成長してくれましたね。もしドイツに行っていなかったら、彼らはあそこまで伸びていなかったと思います。なぜなら、過去にも才能を持った若者は沢山いたんですが、中学、高校、大学という日本的な縦割りシステムの中では、一気に強くなるということが起こらなかった。それが、ドイツに来たら大人も子供も関係なく、たとえ中学生でも世界のトッププレーヤーと毎日練習できるようになった。水谷隼は高校2年生で日本チャンピオンになりましたからね。従来の育成システムであれば、高校2年生が日本チャンピオンになるなんてありえませんでした。そんな彼らを、卓球以外のところで支えてあげていたのが今村さんだったんですよね。

今村まあ、14歳、15歳、まだ子供ですよ。なんかあったら、って思いますもんね。ましてやそれまでの人生だって、卓球ばかりやって来た子どもたちですから。支えるしかない、笑。

松下私は30歳になって初めてヨーロッパに挑んだのですが、それだってかなりの一大決心でした。中学生が異国の地に移り住んで、そこで卓球をやる、すごいことやるなあって思いました。ホームシックにもなるだろうし、不安要素は山のようにあるだろうし。

今村実際にホームシックになった選手もいましたよ。突然監督から「おい、今村、〇〇がいなくなった!」って電話が入りまして、その2、3日後にその選手が日本の実家に現れた、そんな事件もありましたねえ。

松下まあある意味、ドイツからいきなり飛行機に乗って日本まで帰れるっていうのも、凄いといえば凄いことですけどね、笑

今村アミジッチコーチの母国であるクロアチアでは当たり前のことだったわけですが、子どもたちをドイツに住まわせて卓球をやらせるって発想、日本人だけだったら出てこなかったでしょうね。義務教育中の中学生を国外に出すというのは、やはりちょっと考えるというか、躊躇するというか。実はこういうアイデアがあるんだけれども、なんて相談はなく、事前に一切知らされていなくてですね、全てが決まった後に、若者が行きますからよろしく、という状態だったんです、笑。

松下繰り返しになりますが、私は今村さんがドイツにいてくれたことは子どもたちにとって本当に幸運だったと思います。親御さんも、子どもたちも不安な中、そこに今村さんという存在がいたら、まず甘えられるじゃないですか。お湯が出なくても、電球が切れても、電話をすればすぐ来てくれる、笑。

今村まあでも私としては、毎日ドキドキしていましたけどね。やれ財布無くしただの、携帯無くしただの、アパートの部屋に置いてあったパソコンが盗まれただの。でも、そういう不注意に関して、子どもたちに説教するというようなことはありませんでした。せいぜい、野菜はちゃんと食べろよ、とか言うくらいで。

<次のページへ続く>



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