調査研究

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2021年12月17日

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」を開催しました

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」

※感染症対策を徹底した上で開催しました。なお、発表者のみマスクを外しています

ヤマハ発動機スポーツ振興財団は、12月17日(金)にシンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」をオンラインにて開催しました。本シンポジウムは、当財団が2012年より取り組んでいる「障害者スポーツを取り巻く環境調査」結果報告の一環として実施したものです。

当日は、当財団障害者スポーツ・プロジェクトを代表して小淵 和也氏(公益財団法人笹川スポーツ財団 スポーツ政策研究所 政策ディレクター)がまず、2021年に開催された東京2020パラリンピックを含めた過去4大会のTV放送量の変化やパラリンピアンの認知度状況についての調査研究結果を報告。

その後のパネルディスカッションでは、引き続き小淵氏がコーディネーターを務め、報道する立場として元NHKリポーターで電動車いすユーザーの千葉 絵里菜氏と共同通信社 運動部記者 パラスポーツキャップの鉄谷 美知氏、パラアスリートとして車いすバスケットボール選手で北京・東京パラリンピック日本代表選手の網本 麻里氏とプロ陸上競技選手、北京・ロンドン・リオデジャネイロ(以下、リオ)・東京パラリンピック日本代表選手の山本 篤氏をパネリストに、それぞれの立場から障害者スポーツの環境変化や課題について、オンラインで視聴されている方からの質問・意見も交えながら、共に考えました。

最後に当財団障害者スポーツ・プロジェクトのプロジェクトリーダーである藤田 紀昭氏(日本福祉大学スポーツ科学部教授)より、パラリンピックの国内開催による共生社会実現への道が継続することを願うと共に今後もパラスポーツの報道とそれに伴う社会変化の記録を続けていく意向を話し、シンポジウム2021を終了しました。


パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度に関する調査結果報告

小淵 和也氏(公益財団法人笹川スポーツ財団 政策ディレクター)
小淵 和也さん(公益財団法人笹川スポーツ財団 政策ディレクター)

「テレビメディアによる障害者スポーツ情報発信環境調査」と「パラリンピアンに対する社会的認知度調査」の2つの調査に関して結果の一部をご紹介します。

まず、テレビメディアの露出状況についてです。北京、ロンドン、リオ、そして東京の過去4大会の放送時間の変遷を見ていただくと、大会を重ねるにつれ放送時間が増えています。特に2012年のロンドンから2016年のリオにかけては、2013年に東京パラリンピックの開催が決定したこともあって、約3倍以上に激増しています。ところが、東京大会ではリオよりわずかに減少しているのです。この放送時間の量を開催前、開催中、開催後に分けたグラフを見ていただくとお分かりいただけますが、開催前は、大会を重ねるごとに徐々に増えてきて東京が一番多く、開催中もロンドン・リオと増えて東京でドンと急増しています。問題は開催後です。リオはすごく増えていましたが、東京は激減している状況でした。色々な要因が考えられ、このあとのパネルディスカッションでも取り上げていきたいと思います。

次にテレビ局別の放送時間です。過去4大会の合計は、NHK総合がダントツで、北京、ロンドン、リオで急増し、東京でも一番でした。民放も基本的には同じ傾向ですが、NHK教育だけ、北京、ロンドンと増えてリオで半減しているんです。というのもロンドン大会までは障害者スポーツやパラリンピックを福祉的、教育的観点で放送していたのに対し、2013年東京パラリンピックの開催が決定したのち、障害者スポーツやパラリンピックもスポーツとして取り扱っていこうという方針に変えた結果、NHK総合での放送がぐんと増えたとのことです。

そして番組カテゴリー別に見ると「情報/ワイドショー」「ニュース/報道」「スポーツ」の3つが非常に多く、なかでも徐々に「スポーツ」の番組で放送されるようになっています。放映権などの絡みもありますが、東京大会が4大会の中で最も「スポーツ」の番組で放映されました。

シンポジウム2021 東京パラリンピックで観戦した競技

続いて「パラリンピアンに対する社会的認知度調査」です。東京2020パラリンピックの日本代表選手約120人の認知度を調べた結果、1位が認知度45.2%で車いすテニスの国枝 慎吾選手、同じく車いすテニスの上地 結衣選手が22.5%で2位、本日ご登壇いただく山本 篤選手が7.9%で第5位です。この認知度を2016年リオ大会と比較すると、この時も国枝選手が1位で34.0%、2位が14.8%の上地選手、山本選手5.6%で6位でした。

山本選手は、2018年冬のパラリンピック平昌にも出ています。認知度の経過を追っていくとリオで5.6%、平昌で6.9%、今回の東京で7.9%と着実に認知されています。2,000人を対象にした調査なので、日本国民1億2000万人に換算すると、1%しか増加していなくても120万人が知ってくれることになるので、選手の周りでは結構な影響や変化があったと思われます。

さらに選手の競技種目を知っているかを尋ねた項目では、国枝選手が車いすテニスの選手と知っている割合は、リオの時は79.2%でしたが、東京では81.7%まで増加。上地選手も56.4%から71.2%へと激増しています。山本選手もリオの22.6%から今回37.7%へと15%以上も陸上選手であることへの認識が増えています。

そして東京パラリンピックの観戦状況については、「テレビで中継番組を見た」人の数は、リオが30.3%で、東京33.0%とそんなに変化がありませんでした。観戦した競技は、1位が車いすテニス、2位に水泳、3位に車いすバスケットボール、4位の開会式と6位閉会式に挟まれて陸上競技が5位に入っています。

何より驚いたことは、オリンピック・パラリンピックのチケット購入状況です。コロナ禍になる前の購入ですが、9割近い方がオリンピックもパラリンピックもチケットを申し込んでいなかったのです。東京がメイン会場ですので、その周辺の方はチケットを買おうと思うかもしれませんが、そこから離れるとなかなか買いにくいのかなと思いましたので、地域別にも分けて集計しています。地域別では、関東地方が約12%でトップでした。

最後に日常生活で障害者スポーツを見る状況についてです。リオが終わった後、日常生活で障害者がスポーツをしているのを見る状況にあると答えた人は6.0%でしたが、東京大会の後には9.4%に増加。地域別、性別、年代別で見ても、ほぼ同じように、障害者がスポーツする光景を見るようになったと答えています。個人的には、日本国民の多くの方が、障害者スポーツに対するアンテナを張るようになってきたんじゃないかなと感じています。ただし、男性の40代、女性の50代では減っていて、調査報告書を発行する年度末に向けて、細かな分析を進めていこうと思っています。

ここまでが主な調査結果の報告です。ご清聴ありがとうございました。


パネルディスカッション

〜パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度に関する調査結果報告を元に〜

東京大会開催後の報道量低下の要因を探る

コーディネーター役の小淵和也氏

コーディネーター・小淵 和也氏(以下、小淵、敬称略)先ほどの調査結果をもとに「パラリンピック報道とパラリンピアン認知度」と言うテーマで登壇者の方々と色々意見交換ができればと思っております。

まずは、メディア報道について。パラリンピック開催後のテレビ放送時間が東京大会で減少した要因や、新聞・活字媒体での報道量について教えてください。

鉄谷 美知氏(以下、鉄谷)新型コロナウイルス感染症の影響が非常に大きかったと思っています。先の報道量の調査結果はテレビ中継の集計なので、私自身は新聞記者ですから、正しいかわかりかねますが、ロンドンやリオの平時の大会ですと、情報番組やニュース番組に選手が出演し、大会の名シーンを振り返るなどがあったと思います。しかしコロナ禍でそういう機会がなかったからではないかと想像しています。

パネリスト・鉄谷 美知氏
パネリスト・鉄谷 美知氏
「共同通信の記者でパラスポーツを担当しています。今回の東京パラリンピックを取材して、その中で感じたことや新聞製作上で考えたことなど、お話させていただければと思います」

もう一点、各選手の地元での祝賀イベントなどが非常に抑制的で、そういうイベントがないと取材機会もなく、露出が減少したと思います。

象徴的な例が、2016年リオの後に行われた、オリンピックとパラリンピック合同でのパレード。80万人ぐらいの観客の方がいらっしゃって、パラスポーツも認知が広がったと思うんです。今回はそういう機会も逸したところがありますね。

またそのリオの後というのは、東京大会に向けての機運醸成として、リオ大会で活躍した選手やホープの選手の特集が組まれたりという例もあったと思うんです。東京大会後はそうした報道量が減っているのかなと思います。

小淵当財団の調査結果は、テレビメディアに限定していましたが、新聞にフォーカスした場合も同じような傾向でしょうか?

鉄谷パラリンピックの後は、競技大会も少なくなりますので、報道が少ないことは、テレビも新聞も一緒だと思います。やはりいろんなアスリートがイベントに出てくる機会が、4年前に比べると少なくて、そこが響いているのではないでしょうか。

小淵山本さん、パラリンピック後の祝賀イベントについて、2016年のリオ大会と今回東京とで変化がありますか? また報道量低下について、どう感じられていますか?

山本 篤氏(以下、山本)変わっていると思いますね。タイミングを見計らいながら色々な表敬や報告会をやらせていただいてるんですけど、リオの後はもう本当に色々なところに出る機会が多かったので、今年とはものすごく変わりましたね。

パネリスト・山本 篤氏
パネリスト・山本 篤氏
「プロアスリートとして活動しています。東京パラリンピックではT63走り幅跳びと100Mに出場しました。何大会かパラリンピックに出ている中での変化や日頃感じていることを率直にお話しさせていただきたいと思います」

(報道量の低下について)僕が一番感じたのは、金メダリストが引退をしなかったことじゃないかなと。例えば、オリンピックを機に卓球の水谷選手が引退をして、テレビに今も出続けていますよね。現役の選手だと練習があったり、いろんな思惑があって、テレビ側は使いにくいと思うんです。でも引退してしまえば練習とか関係ないし、すごく使いやすいんじゃないかな。ですので、パラリンピアンの金メダリストが引退していたらと、もうちょっと増えたのではないかという勝手な印象がありますね。

2018年、成田緑夢選手が平昌で金メダルを取った後に引退宣言をし、その後、バラエティ番組を総なめしていたんですよね。それで一気に認知度を上げた例をすごく間近で見ていて、こういうやり方があるんだなっていうのを知っていたので、今回は水谷選手がそれをやっていると感じました。

小淵面白い視点ですね。続いて、ちょっと話を変えます。

NHKの放送時間に関していえば、パラスポーツも福祉・教育的観点ではなく、スポーツとして取り扱っていこうという、局の方針が変更され、開催中の放送量が増加した報告を先ほどしました。その方針変更のひとつの流れの中で、千葉さんがNHKのリポーターに選ばれたのではないかと思うのですが、選ばれた経緯などを教えていただけますか?

千葉 絵里菜氏(以下、千葉)2017年の5月、6月ぐらいにNHKが障害者キャスター、リポータを応募していることを知り合いに教えてもらいました。元々車いすスラロームや車いすカーリング、電動車いすサッカーなどをやっていて、スポーツが大好きだったので応募しました。

応募人数は159名。そこから3人が選ばれました。1人が私、脳性麻痺で電動車いすユーザー、ボッチャを中心に取材しました。あとは聴覚障害の後藤 佑季さんが主に陸上を担当され、左上肢機能障害の三上 大進さんが、競泳をやってらっしゃいました。

パネリスト・千葉 絵里菜氏
パネリスト・千葉 絵里菜氏
「北海道帯広市出身で、大学では福祉を学びました。脳性麻痺でヤマハの電動車いすを使っています。2017年10月からNHKのパラリポーターとして、パラスポーツや共生社会に向けたテーマでテレビやラジオで伝えさせていただきました」

ロンドンパラリンピックで当事者キャスターやリポーターが活躍したことがきっかけで、 NHKでも障害者当事者が放送に関わることが重要だと判断したと聞いています。

選ばれてからNHKで2週間ほどアナウンサーの研修をしました。とにかく現場に出ること、取材をすること、それを言葉にすることを繰り返し、最初は平昌大会のBSの生放送でしゃべらせていただきました。今も緊張していますが、覚えているのが、緊張で足がバタバタ動いてしまって、マイクスタンドを蹴ってしまって皆さんにちょっとご迷惑をかけたことですね。

ちょうど東京オリンピック・パラリンピックを控えていてユニバーサルタクシーが導入され始めた時だったのですが、手をあげても止まってくれないということが起きていました。そのことを「サンデースポーツ」でレポートさせていただきました。その後はユニバーサルタクシーの方々ともご縁があったのでそこで繋がりができて前向きに取り組んでいただいております。

東京大会までに、いろんなパラスポーツを取材しました。その中で同じ脳性麻痺の選手とたくさん出会ったんですね。ボッチャ、馬術、競泳、卓球などなど。脳性麻痺と言っても特性が異なることを分かってはいましたが、目の前にして自分が取材することで、同じ障害があっても1人1人違うんだよっていうことをわかって欲しくて。私が伝えなくてはいけないっていう気持ちで、NHKで働いておりました。

小淵ここで、チャットでいくつか質問が来ているので、鉄谷さんに伺います。パラリンピックの期間ではない時のパラスポーツや障害者スポーツに関する報道自体が少ないように感じるんですけども、それは実際少ないのでしょうか?またその理由をお伺いできますか?

鉄谷少ないと言われれば少ないと思います。例えば東京パラリンピックに向けて、何を書いてどういう取材をするかっていうところで、競技面がメインになってしまうのは事実だと思います。

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」

理由は、なかなか難しいんですが、スポーツ面について話をさせていただきますと、大会があって、それを取り上げて、それを取り巻く人たち、プレイなどについて書くというサイクルで、そういうところでは、東京パラリンピックに向けて露出は増えてきたと思うんですけども、恒常的に書いていくことについて、これからまたやってかなければならないところかなと思います。

山本パラスポーツが、日常的にリーグ戦をしていることってないですよね。そういうことが関係していませんか?

サッカー、野球、バスケは、日常的にリーグ戦で結構な試合数があるじゃないですか。(障害者スポーツは)大会はあるけど、常にあるわけではないので大会ごとの単発記事になって出ていくのかなあと、聞いていて思いました。

小淵レギュラーシーズンみたいなものがもしあれば、取材もしやすかったりするんですか?

鉄谷報じるのが日本選手権とか、トップの大会になると、パラリンピック種目が22競技あったとしても、一つの競技がフューチャーされるのが年に1回とか2回とかなので、やはり数が少なくなってきます。

日常的にそういう大会が増えて、これを報じていく土壌ができて、東京大会に向けてそういうのができてきたと思うんですが、これからもっと増やして報じる機会が増えていけば、報道の量も増えていくかなと思いますね。

小淵網本さん、レギュラーシーズンとかリーグ戦という形で日常的に大会を行うと、もうちょっと状況が変わるかもしれないという話ですが、車いすバスケットでそういう話が出た時にどう思われますか?

パネリスト・網本 麻里氏
パネリスト・網本 麻里氏
「今、大阪にいます。車いすバスケをやっています。今日は短い時間ですけど、パラリンピックを始め、パラスポーツそしてパラリンピックの認知度を上げたり、盛り上げたりしたいと思っています」

網本麻里氏(以下、網本)普通のバスケットの場合は、男女ともにシーズンがあって、その間に天皇杯とか皇后杯とかも行われているんですけど、車いすバスケットは、男女ともリーグ戦もないですし、本当に女子は皇后杯だけ、男子は天皇杯だけでシーズンがない。大会を開催しても小規模であったりします。

そもそも観戦していただく人に私自身がSNSで発信したり、他の選手もそれぞれのSNSなどで発信したりしても、なかなか観客が集まらず、メディアの方にも取り上げていただけないのが今の現状です。

小淵メディア報道関係でもう一つ、鉄谷さんにお伺いしたいのですが、東京パラリンピック2020の報道に感動ポルノ的なことが多く入ってくるかと思っていましたが、実際にはそんなことはありませんでした。それは意識してのことでしょうか?

鉄谷パラアスリートの方が障害を受け入れ、スポーツを通じて自己実現をしていく、その人の人生を輝かせていく、というようなストーリーが強調されると感動ポルノと言われますが、それは否定されるものではなく、弊社の報道でも記事の根幹になるようなストーリーだと思っています。ただ相対的にそう多くなかったとおっしゃるのは、多種多様な記事が出てきたからではないでしょうか。

私はスポーツ面の記者ですが、今回心がけたのは、選手は障害にどういう風に折り合いをつけて、そのパフォーマンスを上げる工夫をしていくのか、そういうところを書いていくことでスポーツの面白さを伝えられるんじゃないかと考えていました。

例えば、山本選手のような義足を使われる選手の場合、その義足をどうやって開発してくのかとか、できたものを使いこなすためにどう体を鍛えていくのかとか。

あるいは網本選手のように車いす競技の場合、車いすの開発や工夫にもかなり注力されてると思うんですが、その機動性をどう上げていくのか、例えば座面の高さはどう変えて、それがプレーにどう影響するのかとか、そういうところを書いてくことで、障害者スポーツの特性みたいなものを表現できないかなと思って取り組んできたつもりです。

パネリスト・鉄谷 美知氏

語弊があるかもしれませんが、ウィークポイントを克服して、その競技を競い合う人たちの中で、自分たちの強みを伸ばしていくことは、パラスポーツに限らず、まさしく一般のスポーツもおなじこと。そこを書いていくことによって、逆にこうパラスポーツの特徴みたいなのが、際立ってくるんじゃないかと考えてました。

あともう1点、こう障害を乗り越えたとか、克服したというような紋切り型の表現をあまり使わない方が良いよね、という話を社内でしたことをすごく覚えています。パラアスリートの方全てが、障害を乗り越えたと思っているか非常に疑問点もありましたし、そこを強調しすぎると、障害があるのにがんばっているよねという、非常に画一的なストーリーなるんじゃないか。多分それが感動ポルノと言われるものですけども、そこを特段意識した訳ではありませんが、スポーツサイドの話を淡々と書いていくことで十分ではないかと。スポーツ面に関してはそういう意識でやっていました。

小淵今度は取材される側のアスリートにお話をお伺いします。山本さんは2008年の北京からパラリンピックに出場しているので、報道の違い、変遷は多分誰よりも身に沁みながら今に至っていると思うんですけど、2008年から振り返っていかがですか?

山本2008年頃から、パラリンピックのたびに、30分ぐらいの特集番組を大会開催前に組んでもらっていましたが、よくよく考えてみると福祉ネットワークとか、NHK教育で放送されるようなことが多かったんです。でもリオぐらいから、民放の特集番組に出るようになったり、いろんな形で関わるようになって、そこはすごく変わったなーっとデータを見て感じていました。今回の調査は、テレビがメインだと思いますが、新聞なども変わってきたと思いますね。

2008年北京パラリンピックに出た時にある新聞社の社会部を担当されているような方が(取材に)来たんですね。僕たちはスポーツをやっているんだからスポーツ部の方が来てよって思って、そのことを口にしたんです。

それが東京大会に向けては、スポーツ欄に大きく載るようになった。人間的なストーリーについては社会面に載ったりしますが、でもやっぱりスポーツとして見られるようになってきた。この2008年から2021年にかけて大きく変わってきたと思いますね。

実際、今日来られている鉄谷さんもスポーツキャップの方ですし(笑)。

小淵調査結果の答え合わせができたと、安心しました。

ここで報道とは少し離れて、このご時世SNSが無視できない存在としてあると思います。2008年当時、SNSはそんなに発達していなかった気がしていますが、網本さん、SNSの功罪あると思いますが、どう感じていましたか?

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」

網本初めてパラリンピックに出場した2008年大会の時は、SNSといえば私自身ではFacebookぐらいでした。テレビとかでほとんど放送されなかったこともあって、私の祖母が、「麻里ちゃんがんばってね」って言うのをNHKさんにFAXしたっていうのを大会が終わってから知ることがありました。

でも今回の東京2020パラリンピックでは、私のSNSに直接コメントをいただいたり、ダイレクトメッセージをいただきました。自国開催で時差がないことも大きかったのかなって個人的には思っているんですけど、直接的な応援メッセージをいただけたことがメリットですね。

直接応援のメッセージをいただけるというのは本当に選手としてとてもありがたいんですけれど、デメリットとして、いただいたメッセージへの返信をいつ、どういう風に返そうかなと、ちょっと困ることがありました。

小淵大会期間中、SNSなどは見られていたんですか?

網本見てました。でも一人の人に返信してしまうと、全部に返さないと、って思ってしまったので、大会期間中は、お返事せずに、終わってから返信したりしていました。

小淵次回の大会ではもっと違うSNSが出てくるかもしれませんね。
続々とチャットでも質問いただいているので、一つだけ感想という形でいただいているものを共有させていただきます。

「千葉さんをはじめ、NHKパラリンピック放送リポーターの3人の方はNHK的には大ヒットだったと思っています。どの方も笑顔で楽しそうにレポートする姿にとても自然なもののありようを感じました」と感想をいただきました。

千葉ありがとうございます。とても嬉しいです。

パラアスリートの認知度について

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」

小淵メディア報道からちょっと離れまして、今度は認知度のお話をしていければと思います。
ここは最初に山本さんに聞かざるを得ない、聞きたいと思っていて、先の調査結果で認知度を発表させていただきましたが、ズバリご自身の認知度をご覧になっていかがでしょうか?

山本大会に出るたびに、少しずつ認知度が上がって行って。1%ずつぐらいで、1%かぁと思ってたんですけど、換算すると120万人っていうので、ものすごい数の人に知ってもらえているのかなとは思います。でも認知度の調査結果に出ていた上位3人と(認知度のパーセンテージが)1桁台の人たちとでは、大きな差があると思いますね。

年々認知度が増えているとのことで、地元・大阪で声をかけてもらう機会は、すごく増えてきました。最初の頃は地元に帰った時に、パラリンピックが終わってすぐだと僕に気付いて声をかけてもらうことはありましたが、だんだん薄れていって、次の大会に出て、またちょっと知ってもらって、という状況です。

2016年のリオに出て、18年の平昌に出て、21年の東京に出る、こう短期間にたくさん出ることによって、いろんなメディアの方々に取り上げてもらえる機会があって、ちょっとずつ認知度を伸ばしてきたのかなと思いましたね。

小淵先ほどの調査結果のところで、山本選手の認知は、リオで5.6%、平昌で6.9%、今回の東京で7.9%と2年ごとに増えているとお伝えしましたけど、その感覚ってありました? 120万人に知られたって言う。

パネリスト・山本 篤氏

山本全くないですね(笑)。声をかけられる数くらいしか、わからないので。ちょっと増えたなっていうのは、肌感覚としてはあるんですけど、でもさほど多くはないと思っています。

義足で走り幅跳びをしているので、マルクス・レーム選手と同じクラスなんじゃないかとよく間違われるんですよね。そうすると、クラス分けのような細かいところまでは、まだまだ知ってもらえてないと感じますね。

マルクス・レーム選手について説明すると、陸上競技は障害の種類とその程度によってクラスが分けられているんですが、彼はT64という、ひざ関節があるクラス。僕はひざ関節がないT63のクラスです。T64とT63は、パラリンピックとしては別の競技なので、マルクス・レーム選手と僕は一緒に競技をしません。以前はクラス混同でやる場合もありましたので、ロンドンの大会かな、一緒に競技をしてポイント計算で、順位を争ったこともありましたが、リオ大会や東京大会は、クラスも違うし、メダルも別なんです。

小淵続いて競技の認知についてです。網本さん、車いすバスケットボール競技の認知について、知っている人が多いと思いますが、実際に観客や大会などでの変化はありましたか?

網本2013年に東京大会が決まってから、会社ぐるみや学生が部活全員で来てくれたりと、観客が圧倒的に増えてきた印象があります。

あとはボランティアをしていただく方々が、大会ごとに増えてきていることも感じていました。

皇后杯では、チームにボランティアの人が2人、3人付いていただいています。また会場内の誘導などの運営のお手伝いをしていただくボランティアの方も増えていて、何年か続けて来ていただく方とかも増えていました。

小淵車いすバスケットは、障害のない人も参加できることから、大会など盛り上がっていると伺いましたが、いかがですか?

パネリスト・網本 麻里氏

網本全ての全国大会は、男女関係なく出場可能です。天皇杯・皇后杯は、障害関係なく出場できるので、健常者の方が登録されたり、出場可能です。持ち点は最も障がいの軽い4.5点です。

※車いすバスケットボールの選手には障害レベルの重い者の順から1.0〜4.5の持ち点が定められており、試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはならない

小淵持ち点4.5ということは、エース級の方々との戦いになるってことですよね。ポジション争いとかレギュラー争いとか。

網本そうです、試合に出たかったら、練習してレギュラー争いに勝ってくださいっていうことになります(笑)。

小淵認知度とは話が変わりまして、千葉さん、NHKリポーターとしてメディアに出る機会が非常に多かったと思います。実際にその周囲の変化とかを感じる機会ってありましたか?

千葉車いすを見て、パラリンピック前までは、保護者の方から「危ない」って、言われることがちょこちょこあったんです。保護者の方が危ないって言うのは親心なので仕方ないんですけど。それがなくなってきていて。今では、子どもが車いすに、興味を持ったら、車いすに乗っている当事者の方が良ければ、触らせてもらってもいいという、距離感が一歩近づいて、理解してもらっていると感じています。子どもたちが「何、あれ!」って言って近づいてきてくれるのが嬉しいです。

パネリスト・千葉 絵里菜氏

また、私の周囲の人が変わったとするならば、近くにいてくれたNHKの人たちの理解が深まったと感じております。例えば、食堂で配膳係の方が、私を見つけると駆け寄って来てくださって、「運びますよ」「今日何食べるんですか」っていう話をしたり、コンビニもでは、私は握力がちょっと弱いので、蓋を開けてくださいって、初めのうち言ってたんですけど、買っていくペースが増えるにつれ、開けておいてくれたり。

そういう部分でも車いすに対する理解が深まっているなと感じていましたし、仕事上では、トイレに時間がかかるのでそこを理解してもらって、時間の余裕を見てくださったり。途中から局内の作業にもヘルパーさんがついてくれるようになりました。

今後のパラスポーツの活動、報道について

小淵2020のパラリンピックが終了したところで、今後どうしていくかという話で最後まとめていければと思います。

まず鉄谷さんにお伺いします。メディアの報道に関して、この東京2020パラリンピック開催を経て、どのようになっていくとお考えですか。

鉄谷東京パラリンピックの報道体制は、各社特別だったと思います。質・量ともに。これからパリに向けて、この報道量を、さっきご指摘がありましたけども、増やしていくかと言うと、なかなか難しいという印象を持っています。

ただ東京大会というのは、日本で開催したということで、いわゆる一つの国際スポーツ、総合スポーツ大会という域からはみ出て、多くの論点が論じられたと思っています。

パネリスト・鉄谷 美知氏

例えば都市のバリアフリー化ですとか、障害者雇用の問題、障害者のスポーツ行政、さらにはインクルーシブ教育やダイバーシティなど、いろんな論点がスポーツをフックに語られるようになりました。

弊社でも今までパラリンピック報道って言うと、運動部または社会部が担当していたのですが、例えば政治部とか経済部とかですね、いろんな記者も参画したという印象を持っています。ですので、東京大会で、色んな所に光が当たったものを、論点を、これからも報道し続けていくことが理想ではないかと思っています。

小淵パリ大会では、東京並みの放送量っていうのは、担保できないかなという一方で、先ほどおっしゃられた、論点が増えた、今回の東京大会をきっかけにいろんな論点で話がされた、スポーツをフックに、というところの視点は、おそらくパリに向けても、やっぱり無くしてはいけない視点だなと個人的に感じていたというところです。その辺は気をつけて見ていく必要がありますね。

つづいて網本さんさんにお伺いしていければと思います。今後の障害者スポーツ、日本における障害者スポーツってどうなっていくべき、どうなって欲しいですか?

網本パラスポーツが、障害者の方がやっているスポーツというより、いちスポーツとして皆さんに認知していただけるようになれば、東京で開催されたパラリンピックがブームでなくて文化、カルチャーになっていけるかなって思っています。

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」

海外で生活していたこともあるんですけど、衝撃的だったのが、オーストラリア。大国って言われるだけあって、体育館一つにしても12面ぐらいコートが取れるんですよね。そしてこっちでは車いすバスケをやっていて、その隣のコートで小学生の子らが、そのまた隣では中学生や高校生といったちょっと大きい学生の子たちがバスケをやっている。さらにその隣で大人が……と言うような、もうジャンルを問わずに全てのバスケの競技をやっていたり。

そしてその隣でバレエや、また違う競技をやっているという情景を見ていると、こういう風になっていくと、スポーツというものがもっと広がっていくんだろうなっと感じました。

小淵多世代や他のジャンルのスポーツと一緒に自然に行われる。日常的にそういう環境ができてくる。カルチャーとして、障害者のスポーツもきちんと根付いていく必要があるし、東京大会を経てそういうところもどんどん進んでいってほしいという感じですね。

では続いて、山本さんにお伺いしたいと思います。今後のパラアスリートのあり方というところをお伺いできればと思います。

山本これまでは、東京パラリンピックがあることによって、アスリートであれば報道してもらえる機会がありました。でも今後は、パラアスリートであっても報道してもらえる機会は多分ぐんと減ってくると思うんです。必要なのは、パラアスリート自身が情報源となって、何か報道の方たちにアクションを起こすことが大切なのかなって考えています。

パネリスト・山本 篤氏

僕自身も、義足メーカー主催のランニングクリニックを今までずっとやってきていたんですけど、東京パラリンピックの年に限って、開催されなかったんですよね。コロナ禍ということもあって、みんなで集まってイベントやることに、企業側は消極的だったのかなと思うんですけど。僕としては、そういうイベントがやっぱりあった方がいい、義足の方たちが走れる機会っていうのを作りたいと思って、自分たちで動いて、競技用義足のランニング講習会「ブレードアスリートアカデミー」を行ったんですね。

そういうイベントを自らやることによって、報道の人達に来てもらいました。何しろ応募者がすごく多くて。義足になって、パラリンピックを見て、自分も走りたいっていう方もいました。

あとは教育関係や企業とコラボしてイベントをやったり、講演会をやったりという仕掛けをすることで、関連する報道の人たちに来てもらって、僕たちパラアスリートがやっている活動を知ってもらう、それをメディアを通して伝えてもらうっていう機会が、これからは大切なのではないでしょうか。

パラアスリート自身が何か発信源にならないと、ただのパラアスリートでは媒体に載ることは、すごく減ってくるんじゃないかな。報道量は絶対的に減っていきますので、その中で報道をしたいって思えるような選手っていうのは、いろんな話題性がある選手だと思いますので、パラアスリート自身が自覚を持ってやっていかないといけないと思いますね。

小淵なるほどと思って伺っていたのですが、ここはあえて、鉄谷さんにお伺いします。今の山本さんの発言、つまりパラアスリート自身が発信源、情報源になってアクションしていかなければいけないという、そういったアクションがあった方が取材する側としては、取材しやすかったり、メディアに露出しやすかったりするんですか。

鉄谷山本選手のイベントは弊社でも取り上げたんですが、ここ何年かで、世の中でのダイバーシティやインクルージョンといった価値観が、パラリンピックと関係ないところで、広がってきていると思うんです。そして、パラアスリートの方は、そうしたものの象徴になれる可能性が非常にあると思っていまして、メッセージを発信できるパラアスリートの方が、企業のサポートを得られたり、メディアにも取り上げやすいところがあると思っています。

小淵最後に千葉さんにお伺いします。NHKのリポーターの経験を踏まえて、今後社会はどうあるべきかということについてお伺いできますか?

パネリスト・千葉 絵里菜氏

千葉違いを認め合うっていうコメントがあると思うんですけど、障害者、健常者って、人間なんですね。だから違いはないんですよ。だから私は障害者とか健常者とか、そういう言葉を無くしていく活動をしたくて。生きづらさを感じてる人たちが、生きやすい世の中に自らできたらなって思っています。

小淵千葉さんの障害者という言葉がなくなるような活動をしていきたいということは、共生社会と繋がってくるかと思います。ただ共生社会という言葉は、使い方に気をつけなければならない。きちんと多様性を認め合って理解しあっていく中で、本当に生きやすい形を作ってく。そんなに簡単ではないし、いろんな人がいろんな行動を起こしながら、やっていかなきゃいけないものではないかと思っているところです。そういった活動もこれから期待しております。

コーディネーター役の小淵和也氏

今回色々な立場の方にご登壇いただき、さまざまな視点でお話しいただけました。何かがここで決まる話ではなく、このようなシンポジウムで話されたことを、将来的に答え合わせできると面白いのではないかと思っています。

これにてパネルディカッションは終了とさせていただきます。ご清聴いただき、ありがとうございました。


シンポジウム総括

藤田 紀昭氏(日本福祉大学 スポーツ科学部教授)
全体統括・藤田 紀昭氏

パラリンピックの国内開催により、報道する側、される側、そして見る側にさまざまな良い影響を与えたということが、本日のシンポジウムからお分かりいただけたと思います。この国内大会での成長が継続発展していくことを願わずにはいられません。

ただ一点、これまでどちらかと言うとパラスポーツ、障害者スポーツは、甘やかされていると言ったら語弊がありますけれども、手厳しい報道は少なかったと思います。しかしこれから、いちスポーツとして認められていくに伴い、厳しい報道も出てくるのではないでしょうか。選手、それから競技団体は、そういうこともきちんと認識しておく必要があると思います。

来年3月には北京で冬季パラリンピック大会が開かれます。コロナウイルスの影響は、悪いことがほとんどですけれども、一つだけ良いことがあったとすると、夏の大会が終わってから半年でまたパラリンピックが開かれるという、ワクチンではありませんが、これはかなり強烈なことではないかと思っています。日本の社会に非常に良い影響が出てくることを期待しております。

本財団では、来年3月に本日発表した内容に加えて、パラアスリートのキャリアに関するレポート等を含めた報告書を出す予定です。そちらも注目いただければ幸いです。

今後もこのパラスポーツと放送に伴う社会の変化をきっちりと記録して参りたいと思っております。今後ともみなさまのご協力をいただけますよう、お願い申し上げます。

最後になりましたが本日視聴していただいた皆さま、そしてご登壇いただいた皆さま、誠にありがとうございました。

シンポジウム「パラリンピック報道とパラリンピアンの認知度における社会発信の変化」

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