スポーツチャレンジ賞





ワールドカップ、そしてリオへ。
予選リーグ3勝1敗。決勝トーナメント進出こそ果たせなかったものの、ジャパンはサモア、アメリカ戦にも勝利し、見事な数字と驚きを残してワールドカップを去ることとなった。
アメリカ戦の夜、中島正太はホテルに戻ると、帰り支度をしながら一人静かに部屋で過ごした。もうなにもしなくていい時間、エディ・ジャパンのアナリストを引き受けてからそんな時間は初めてだった。終わったばかりの試合の分析もせず、テレビ画面を眺めている。なんだか不思議な感覚だった。
「アメリカ戦はある意味で、南アフリカとの試合よりもタフでした。あそこで勝つか負けるかで、我々が残すものの意味合いが大きく異なっていたんです。試合が勝利で終わった時、初めて一つの大きなプロジェクトが完結したような気がしましたね。あの試合まではただひたすら、その日その日を懸命に、大切にやり続けていました。最後にようやくそういう一日一日が全部繋がって、一つの結果になったんです。そのプロジェクトに携われたこと、このチームに関われたことが嬉しかったし、このチームが好きだったなあ、という感情が溢れてきました。」
その6日後、アナリスト中島正太は東芝府中のグランドに向かい、かねてから決まっていた7人制ラグビー日本代表チームの活動に合流する。
そこからさらに10か月後の2016年8月9日、7人制日本代表はリオ五輪の予選リーグ初戦、ニュージーランド代表相手に14-12の大金星を挙げる。惜しくもメダル獲得はならなかったが、史上初のベスト4進出という「もうひとつの快挙」を成し遂げた。
前日本代表キャプテンの広瀬俊朗が、こんなことを語ってくれた。

「南アフリカ戦までの3年半の道のりは、僕たちプレーヤーだけではなく、誰にとってもほんとうに厳しいものだったと思います。それは頂上の見えない山登り、いったい今自分がどこをどこに向かって歩いているのかもわからない、そんな日々の連続でした。でも、気がつくといつの間にか頂上にたどり着いていたんです。正直、神様みたいな存在っているんだな、って思いましたよ。
もちろん、神様だけじゃなくって、たくさんのスタッフが、いつもプレーヤーズファーストでサポートし続けてくれたからこそ、あのW杯があったんです。例えば正太さん、彼が用意してくれた映像を見ることで、僕たちはプレーの質、走りの質を具体的に確認し、改善することができた。正太さんが出してくれた数字を見て、自分たちに何が足りないのかを具体的に把握することができたんです。それぞれの選手が、いつでもデータにアクセスできるよう、1人に1台ずつタブレットを用意してくれたのも彼でした。
勝つために練習はしているけれど、ラグビーというのは相手に勝つことにフォーカスしているわけではないんです。チームに関わる全ての人間が、自分たちにできることを全てやりきった、その向こうに勝利があったんじゃないでしょうか」
<了>
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