スポーツチャレンジ賞




アナリストという仕事
セコムラガッツの現場で働き始める前、中島はまず映像解析のためのソフトウェア、ゲームブレーカーを熟知するところから手をつけた。プロとしてのアナリスト。仕事に不安がなかったわけではないが、中島の強みは、大学でそれに近い作業を体験していたことだった。筑波大学のコーチ陣も同じ映像解析ソフトを使っていたし、彼自身も自分のプレーの参考のために映像の分析作業に打ち込んでいた。卒業論文もそのソフトを駆使して作成したほどだ。
「撮った映像をPCに取り込み、次にそのファイルとゲームブレーカーをリンクさせるんです。このソフトの優れた点は、自分でカスタマイズできるところ。絵の具のパレットのように、自分が得たい情報を仕分けでき、スクラム、タックル、パス、成功したシーンと失敗したシーン、ラグビーの試合中に起こるすべての出来事を、各々のカテゴリーで非常に細かく設定していけるんです」
例えば、一口に「成功したタックル」と言っても、チームによって評価が異なる。日本の場合だと、タックルは低く倒すのが基本だが、アイルランドでは高く入るのが良いとされる。相手を倒さないでモールを作れば、ボールをターンオーバーできる、という発想がアイルランドにはあるからだ。
「同じタックルを日本でやったら、良くないタックルに分類されます。だからアナリストはそれぞれそのチームのパレットを持たなきゃいけない。僕の場合なら、セコムの時のパレット、エディ・ジャパンのパレット、あるいはセブンス(7人制日本代表)のパレット、すべて設定が異なるわけです」
同じラグビーでも、コーチの考えが異なればプレーの分析も異なってくる。
重要なのは、コーチ陣の考えをアナリストがどう捉え、どういうものを提示してゆくか、だった。
中島が入部した翌年、セコムは突然強化の打ち切りを決定し、彼は仕事の場をキヤノンイーグルスに移す。しかし結果的に考えれば、この強化の打ち切りが、中島のキャリアにとっては後々極めて重要なターニングポイントとなった。
中島の能力を高く評価していた岩渕健輔は、セコムを去り、日本協会のゼネラルマネージャーに就任する。2012年、エディ・ジョーンズが日本代表ヘッドコーチの座についたとき、GM岩渕は中島をアナリストとして推薦した。しかし前出の大村によれば、エディはすでにキヤノンでアナリストを務める男の存在に注目していたのだという。
2012年1月、中島の所属するキヤノンイーグルスがエディ率いるサントリーとの練習試合に出かけた際、彼は中島に一言短くこう言った。「よろしくね」
「2000年、エディがACTブランビーズのヘッドコーチを務めていたときから、僕は彼のラグビーが好きでした。ブランビーズはとても攻撃的で、ボールをよく動かし、緻密なラグビーをやっていた。僕自身、現役時代は肉体的に劣っている分、考え、準備をして勝とうとしていましたから、エディのチームには強く興味を惹かれました」
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