萩原今回の受賞おめでとうございます。受賞の報告を受けた時、どんなお気持ちでしたか?
中島ありがとうございます。最初は正直、僕なんかでいいのかなって、思ったんです。一番ハードワークしたのは選手、その次はスタッフ陣、誰か一人っていうより全員がチームを支えていましたから。でもお話を伺うと、表に出ない人々に対しての賞、ということでしたから、じゃあ自分がみんなを代表して貰うことにしよう、と決めました。
萩原ラグビー、バレーボールなど、アナリストという役割は最近すごくクローズアップされるようになってきましたね。
中島バレーボールのアナリスト渡辺さんとは、以前から親しくさせてもらっています。エディと一緒に女子バレーの眞鍋監督のところへお邪魔した際、いろいろとお話を聞かせていただきました。バレーの世界ではアナリストの仕事が世界へつながっているという印象を強く受けたことを覚えています。
萩原チームスポーツにおける分析は、本当に重要ですよね。中島さんはそういった能力を選手時代から身につけていたんですか?
中島僕は足が速いわけでもなく、身体が大きいわけでないので、現役時代から、相手のどこにスペースがあるのか、どうすれば残りの14人が最大限の力を発揮できるのか、そこしか考えていませんでした。自分がレギュラーで出場できる道はそこしかなかったですから。
萩原でも、それは難しい作業ですよね。アスリートは、まず自分のことを中心に考えてしまう傾向がある。自分のことしか考えられないというか。
中島ポジションも司令塔というか、そういうことを考えなければいけない位置にいましたから。なんとなく試合に挑むのが嫌で、ある程度具体的なイメージを抱いて試合に向けての準備をしたかった、というのもあります。ラグビーというのはすごくたくさん選択肢のあるスポーツですから。
萩原当時から他の選手にアドバイスもしていたんですか?
中島僕自身がアドバイスするというより、コーチ陣からもらう様々なアドバイスを仲間に伝える、という役割でした。映像を使ったり、たまにはボードに書き出してみたり。そういうことが好きだったのは間違いありませんね。
萩原大学卒業時に監督さんから、アナリストの仕事を勧められたとお聞きしましたが、将来アナリストになりたいという考えは当時からありましたか?
中島ないです、ないです。そのときに初めてアナリストの道があるということを実感したくらいですから。ただ、大学を卒業してもラグビーの仕事に関わりたいと思っていたので、お話をいただいたときに躊躇はありませんでした。やったことはないけれど、失敗するのもいい経験になるだろう、と。
萩原アナリストを職業としている方は、日本にはどのくらいいらっしゃるんですか?
中島ラグビーですと、トップリーグ所属チームだと全チーム一人はいます。世界のトップレベルでは、多いチームは三人なんてところもありますね。ラグビーだけではなく、統計学専門家もスタッフとして入っていたり。
萩原日本でも、中島さんのような方の活躍があって、アナリストという職業が脚光を浴びてきました。嬉しいことですね。
中島そうですね、結果がついてきて、その職業の存在を知ってもらえるのは嬉しいことです。今は大学生でも、アナリストになりたいという人が増えてきました。現在、上智大学でアナリストをやっている学生と一緒に仕事をしていますが、ラグビーの名門校ではないところで頑張っている人たちにとっても、この仕事はトップレベルで働ける一つの選択肢になると、僕自身は考えています。
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萩原アナリストというと、なんとなく年配の方をイメージしていましたが、笑。中島さんはまだお若いですよね。
中島この世界では、30代の人が多いです。バレーボールの渡辺さんも僕とほぼ同い年です。みんな年齢が近い分、情報交換も活発ですし、いろいろな面で仕事もやりやすい。話題も似ているし、みなさんフットワークも軽いです。
萩原年齢が若い人はやはり新しいソフトやハードへの反応が早いということも挙げられますね。
中島確かにそうかもしれません。僕自身は、中学の時にWINDOWS98が欲しくて、両親に頼んでパソコンを買ってもらいました。大学に入っても、チームの決め事をパワーポイントでまとめ、仲間に配ったりしていましたから、元々新しいテクノロジーが好きな人間なのだと思います。そんな自分をちゃんと見てくださっていた大学の監督さんには、本当に感謝です。
萩原その後、社会人ラグビーの世界で活躍されて、最終的にはエディ・ジョーンズさんから声がかかったわけですね。
中島未だにエディがなんで声をかけてくれたのか、僕自身はわからないんですけどね。あえて聞いたこともないですけど。
萩原でも当然、代表のアナリストになりたい、という目標はありましたよね?
中島ありました。2019年のワールドカップには、参加したいなと思っていましたし、オリンピックの開会式に出たいというのが、実は子供の頃からの夢だったんです。(ワールドカップ後、中島氏は男子7人制ラグビー日本代表アナリストに就任、編集部注)
萩原エディさんから声がかかった時、どんな気持ちでしたか?
中島協会からの連絡を受けたのは、確かキヤノンイーグルスの練習の後、クラブハウスの食堂でした。最初は信じられなかったです、笑。もちろん嬉しかったですが、僕はまだキヤノンの一員として、トップリーグ昇格に向けて戦っていましたから、この話を聞いて頭がそっちに行っちゃいけない、という自分への戒めは常にありました。
萩原アナリストの方は冷静だから、やったー!とかならないんですよね、笑。
中島なりませんねえ、笑。むしろ、これは絶対にキヤノンを昇格させないとやばいなって。
萩原有名な四部練習の他にも、エディ・ジャパンではいろいろあったと伺いました。楽しかったことももちろんあるでしょうが、本当に苦しかったことはありますか?
中島うーん、エディとの4年間はたしかに大変でした。でも目標があったので、苦しくはなかったです。僕自身はチームとの契約をあえて単年で結ばせてもらっていました。一年目、二年目はチームに貢献することに無我夢中でした。三年目でようやくワールドカップというものが視野に入ってきて、そこからはアナリストとしてどうこのチームを成長させ得るのか、ということを具体的に考えられるようになりました。
萩原どうして単年契約だったのですか?
中島世界でもトップレベルのコーチが率いるチームで、一年目から「こいつ使えねえなあ」って思われながら仕事をするなんて、向こうもこっちも嫌じゃないですか。ワールドカップで勝つために仕事をしているチームなのに、アナリストがお荷物だなんて、みんなに迷惑ですよ。まして僕はまだ26歳、世界で勝つことの意味もわかっていない。だから単年で評価してください、と。
萩原エディさんの仕事は、徹底して準備してゆく、という4年間だったと伺いました。
中島彼の仕事はまず、コントロールできるものと出来ないもの、を分けて考えるところから始まります。例えば、それは天気だったり、グラウンドの状態、あるいはレフリングだったり、です。試合当日の天気を予め知ることはできるし、レフリーがどういうタイプの人か調べることはできるし、グラウンドの状態も前日あるいは一週間前にそこを訪れることで、ある程度の情報は得ることができます。でも当日それがどうなるかは誰にもわからない、だからそこは諦めようという発想です。そういう切り分けで、集められる情報を手に入れ、次はその情報をすべて選手に与えるのではなく、コーチ陣が知っておけばいいこと、リーダーが知っておけばいいこと、という風に割り振るんです。
萩原いろいろな分析を生かして、チームの方向性を決めたり、情報を共有したりという中で、日本代表はそのデータを選手一人一人がiPadを使っていつでもアクセスしていたのですよね?
中島ラグビーにはプレイブック、いわゆるチームの決まりごとが書かれているものがあります。自分たちのプレーにおけるベーシックな約束事、フォーメーションの動き、スクラムを組んだ際どういう合図でどう押すのか、そんな決まりごとです。元々はそのプレイブックを紙ベースで作っていたのですが、キャンプを重ねるごとにバージョンアップして、最後は180ページほどのものになっていました。これでは、読むほうも大変です。もっと選手が簡単にアクセスでき、知りたい情報を素早く見たり読めたりする、じゃあiPadを活用しよう、ということになったわけです。
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萩原少し私の世界の話になってしまいますが、競泳は個人競技ですが、選手同士は情報の共有を一番大事にしていて、それがチーム力の向上にもつながっているんです。チームが一つになるために一番大事な手段、そこはラグビーも水泳も変わらないんだなあ、と思います。
中島僕も四年前にオーストラリアの水泳チームに関する論文を読んだことがありまして、そこには今萩原さんがおっしゃったようなことがいろいろと書かれていました。個人スポーツでありながらチームのことを考える、その思考が成功へ繋がるという発想がすごいな、と驚きながら読んだ記憶があります。やっぱりワンチームって大事なんですよね。
萩原勝てるチームの雰囲気ってありますよね。スタッフ、選手、レギュラー、サブメンバー、どこからもあまり不平不満が出ないチームはすごく強い、それが私の印象なのですが、実際はどうなのでしょうか?
中島僕も基本的にはそうだと思います。でもワールドカップ前の日本代表では、エディはわざとチームにストレスを与え、不平不満を出させていました。大会前にあった4つの強化試合、これには全て違うメンバーで挑みました。当然コンビネーションはちぐはぐになり、結果も伴わない。結果が伴わないと、いろいろなところから不満が出ます。でもエディはあえてそうさせていました。今の段階で選手に自信をつけさせる必要はない。まだまだ選手は成長しなきゃいけない、そのためには選手に不安を与えなきゃいけない、ストレスを与えなきゃいけない、試合というのはストレスのあるものだから、と。
萩原なるほど、とても興味深いお話ですね。
中島でもワールドカップ用のスーツを着て、イングランドへ発った日からは、一切新しいことはしませんでした。新しい情報も入れない、新しい練習もなしです。これからは一切選手にストレスを与えるな、と。
萩原面白いですねえ!その後、ストレスをなくしたときからまたチームがガラっと変わったんですか?
中島そうなんです。安定した環境の中に置かれると、選手たちはすごく落ち着いてくる。練習の質、コミュニケーションの質が上がって、リーダー陣がリーダー的な言葉を発するようになりました。例えば練習がうまくいかない時、それまではエディが怒鳴っていました。しかし本来なら、その場面では選手の中のリーダーが、これじゃあインターナショナルなレベルじゃないだろう!と怒鳴って、自分たちで練習の精度や集中力を高めなければならないんです。なぜなら、本当の試合が始まったら、もう誰も助けてはくれないからです。試合の立ち上がりで何かがうまく機能しない時、前半20分くらいまでに自分たちのペースを取り戻せないチームはやはり勝てない。弱いチームはハーフタイムのあとでしか変われない。なぜならコーチに依存しているからです。
萩原そういうトレーニングの積み重ねがワールドカップ本番で生きて、南アフリカ戦の最後のスクラムに至るわけですよね。あの時、中島さんはどういう風に試合をご覧になっていたんですか?
中島僕の横ではエディがむちゃくちゃキレてましたね、笑
萩原わたしもそのエディさんの映像をTVで見ました!笑
中島まず、エディは基本的に全くブレていなかったんです。彼のターゲットは決勝トーナメントに進むこと、そのためには一番確実な道は、まず南アフリカ相手に引き分けて勝ち点2をゲットすることでした。普通なら勝ちに出たいところですが、エディの計算はそこでも揺るがなかった。でもピッチ上では違っていた。本来ずっと日本の弱点だったはずのスクラムが、あの試合では日本の強みになっていたんです。自分たちがこの四年間、こだわって鍛えてきたものが、最後の最後で自分たちの武器になっていた。だから、あそこでチームはスクラムを選択できたんです。
萩原それは自立したチームだからこそ、あの場でスクラムを選択できたんですよね?
中島たとえエディに反発しても、自分たちが一番と考える選択をできた。つまり、選手達が責任を取れるようになったのだと思います。でも、選手たちがそうなれたのも、やはりエディ・ジョーンズという監督の成果なのかもしれません。
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萩原今現在は男子7人制ラグビー日本代表のアナリストとして、新しいことにチャレンジをされていますが、改めてこの四年間を振り返って、いかがですか?
中島自分の発想で何かを進めることはできませんでしたが、コーチ陣からもらうリクエストを淡々とこなす中で、成長してゆけました。次の四年は、今度は自分から発信できる環境に身を置きたい、だから七人制ラグビーの方に移れればいいなと考えたんです。スタッフは少ないし、やらなきゃいけないことは多い、だからこそ自分にもやれることは多いだろうし、グラウンドに立つ機会も増えるだろうと。大変だなと思う瞬間はありますが、やりがいのある環境でもあります。
萩原今は実際にグラウンドの上に立って、選手に指導することもあると伺いました。
中島コーチではないのですが、スタッフの数が限られていますので、トレーニングを回したり、ヘッドコーチのサポートをしたり。相手チームの選手はこういう風にプレーしてくるぞ、というようなことを、後ろから選手に伝えたりはしています。
萩原15人制の時とはまた違う立場ですね
中島15人制の時に、次はこんな仕事をしてみたいと思ったことをやれているので、非常に充実した毎日を過ごしています。コーチングの大変さ、選手との関わり方、いろいろ学ばせていただいています。
萩原少し抽象的になりますが、中島さんが考えるアナリストとは?
中島まだ多くを語れる立場にはないのですが、たとえ世界一との対戦であろうと、試合に挑む選手が相手に臆することなくグラウンドの上に立っていられる、それが僕の仕事なんじゃないでしょうか。試合が始まる前のところまでしか、僕は選手たちの手助けはできない。ですので、選手が自信を持ってピッチに立てるようサポートをすること、それが自分の仕事なのかな。
萩原2019年のワールドカップのこと、考えていらっしゃいますか?
中島いえ、今の時点では全く考えていないです。一年一年勝負してこそ、次の年が迎えられると思っているので、2019年のことを考えて今を疎かにしてしまいたくはないですね。もちろん、2019年までやってほしい、と言われるのは嬉しいですが、今はその感情を抑え込んで、やるべきことをやるしかないです。
萩原最後に、話は少しずれますが、ラグビーファンのご両親の影響でご自身もラグビーをお始めになったと伺ったのですが、ご両親は中島さんがアナリストとしてご活躍してらっしゃること、喜んでいらっしゃるんじゃないですか?
中島多分、そうですね、笑。両親は、僕の現役時代はいつも試合を見に来てくれていました。大学を卒業して、僕がプレーをやめてしまった後、彼らも楽しみを無くしてしまったんじゃないでしょうか。でもそれが今回、僕が代表チームで働くようになってからは、秩父宮ラグビー場に招待したこともあったり、ワールドカップを見てくれたりもしました。両親が勧めてくれたラグビーで今こうしてご飯を食べられている、それを彼らも喜んでくれていると思っています。この道に導いてくれた両親には本当に感謝しています。
萩原私、実は中学校時代に一緒に水泳をやっていた有賀くん(有賀剛、現サントリーサンゴリアス所属)の影響で、かなり昔からラグビーファンなんです。ワールドカップ期間中は、本当に感動しながら試合を見させていただいたんですが、大会が終わってみると、あの日本チームの大活躍の裏には一体どういうことがあったのか、すごく興味がありました。今日はたくさんの面白いお話、本当にありがとうございました。
中島こちらこそ、ありがとうございました。これから、もっともっと日本のラグビーが独自の文化としてこの国に根付いてゆくよう、少しでも貢献できればと思っています。
<了>
写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo