萩原受賞おめでとうございます。
門田ありがとうございます。
萩原まわりの方々の反応はいかがですか?
門田ネットの影響でしょうか、知らない人からもどんどんメールが来ます。受賞してよかったな、って。今回一緒に受賞された妻木さんは、サッカートレーナー業界のカリスマ的な方ですから、大学生と小学生が試合しちゃった、みたいな気もしますけど。
萩原そんなことないです!私、門田さんの受賞が広く紹介されることで、パラリンピックへの認識がより広がるんじゃないかなと期待しているんです。
門田僕が表に出ることでパラリンピックや障がい者スポーツのお役に立てるのであれば、ちょっと疲れてはいるんですけど、頑張ろうかなと思います、笑。
萩原アテネパラリンピックの時、水泳会場で衝撃を受けたというお話を耳にしました。
門田大会中、僕は朝から夜中までずっと選手村にいたんです。最終日は、午前中まででJPCの事務局が、「もうお店閉めていいよ」って言ってくれたので、水泳の決勝を応援に出かけていきました。サブプールで泳げると聞いていたので、海水パンツも持参して。そこで100mくらい泳いで上がって、ふと見たらプールサイドには各国のベッドエリアがあって、端の方に日本の選手が一人寝転がっていました。その選手に「門田さん、肩が回らないんです」って言われて、今日はオフなのに結局仕事かい!ってマッサージを始めたんです。横を見ると、アメリカ、ブラジル、イングランドとかのスタッフはみんなで揃いのウェアを着て、7、8人が入れ替わり立ち代わりで働いている。日本のところには、借りたベッドが剥き出しで置いてあるだけ。これはなんとかしないとって、やっぱり思いますよね。
萩原日本は、色々な意味でまだまだですよね。特にパラの選手は、トレーナーさんという存在に助けを求めるのに慣れていない。あるいは、トレーナーさんに帯同してもらえること自体を知らない、という状況です。健常者のスポーツだと、みなさんプロとして関わっているじゃないですか。トレーナーもプロ、指導者もプロ。もちろんボランティア精神は美しいです。すごく素敵です。でも、本気で国を背負って戦うとなった時、やっぱりスペシャルなプロの集団にサポートしてもらいたい、というのが選手の気持ちでもありますよね。
門田だから僕も早くプロに渡したいわけです。これが本業、これだけでやってます、っていう人に引き渡すことが、本来あるべき姿ですから。今は、例えばシッティングバレーの場合なら、健常のバレー業界のトレーナーたちから少し動きが出てきています。ブラインドサッカーをはじめとしたサッカー関係は、日本サッカー協会との関係が深まっています。ならば、完全にその傘下に入って欲しいですよね。入ってしまえば、日本サッカー協会のスタイルで、ストレングスコーチやコンディショニングコーチ、トレーナーが参入してきてくれるじゃないですか。
萩原こんな風にパラのために努力される、その原動力は何でしょうか?対価としてたくさんお金をもらえるわけではありませんよね。
門田もらえませんねえ、笑。でも、選手からトレーニング方法を教えて欲しいって言われたら、やっぱり教えてあげたいじゃないですか。性分なんですよ。ああ、また来ちゃったよ、みたいな。
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萩原以前、指導中の門田さんをお見かけしたことがありますが、たしかにすごく楽しそうに教えてらっしゃいました。
門田この仕事は大好きですよ。ただ、日本を背負って戦うのであれば、本当に仕事のできるトレーナーの人たちがしっかりと関わるべきです。その人たちがリーズナブルな対価を受け取れる仕組みができ、プロフェッショナル同士でやれることがお互いのスキルの向上につながってゆく。これからはスポーツ庁ができ、メディアがさらに関心を持ち、たくさんの人が集まってくるでしょう。あとは各競技団体が取捨選択する能力を養えばいいんです。僕自身がやりたいのは、トレーナー制度をしっかりと構築し、地区地区で、競技種目を問わず、ひとつの大会には必ずトレーナーを送り込むということです。2020年の東京までにそのシステムをしっかりと定着させておかないと、その後は予算が消えてしまうかもしれませんから。
萩原2020年の東京まで、東京に向けて、ってよく耳にしますが、私も、どういうふうにその後を続けていくか、何を残していくか、が重要だと思っているんです。今がチャンスですよね。パラは特に。
門田チャンスですし、ここを逃したら後はない。だから今そこにある予算は最大限に生かさなきゃならないんです。心ある人たちはいますからね。障がい者スポーツが大好きで支援していきたい、っていう人たちに、トレーナー制度を勉強してもらいたい。それこそスポーツ少年団くらいのレベルでいいから、特殊学校、特別支援学校の子供たちが、普通に体育を学べる、スポーツセンターに行ったら水泳を教えてくれる人がいる、この国にそういう世界があれば、と思うんです。
萩原私、中学三年生の時、日本代表の遠征でカナダのウィニペグへ行きました。長さは50m,水深は2mのプールでした。私たちが2コース分使って泳いでますよね、すると、お隣の数コースでは一般の方が泳いでいて、あとの3コースくらいだったと思いますが、パラの方たちが泳いでいました。日本では考えられない光景でしたね。そこにはすべての方たちがいました。プールの中には、エリート、一般人、障がい者、そしてプールサイドにはドクター、介護のヘルパー、トレーナー。片腕がない人が水から上がってきて、トレーナーさんに肩の調子を見てもらっているんです。ジュニアの私たちの遠征なんて、まだトレーナーもついていませんでしたからね。その時のことが今でもすごく印象に残っています。私、それまでに障がい者の方と一緒のプールで泳ぐってことすらも経験したことなかったですから。
門田それも、オリンピックサイズの本格的なプールで、ですもんね。
萩原ウィニペグは福祉の進んでいる街なのだと後から聞きました。これが日本だったら、危ないからと言われて、まず泳がせてもらえませんよね。でも、向こうではタイムを計測しながら、ごく普通に泳いでいる。考えてみれば、障がい者の方だから開放できません、って、実はそんなことないんです。だって、日本代表として日の丸背負って頑張ってる障がい者の方たちもたくさんいるわけですから。そういう人たちの練習場所も含めて、2020年に向けて、それ以降も継続して、すべての人が泳げるようなスポーツ施設を開放する、という動きになればいいですよね。そういう点で、日本はまだ遅れているな、と思います。私が中学3年生っていったら何年前ですか?
門田僕も2000年にテニスの国別対抗でパリ行った時、同じようなことを感じましたね。パリの街はバリアフリーとかまったくないんですが、車イスの人が砂利道を行ったり、周りの人がそれを普通に助けてあげたりしていました。テニスのカテゴリーも、シニア、マスター、ジュニアで、車イスも同じようにやっているんです。別に分ける必要がないのを、分けなきゃいけなくして。日本ではそれが長らく続いています。東京に五輪が来るってことで、障がい者スポーツが文化になり、普通のことになればいい、と僕は思うんです。スポーツの現場に限らず、飲み屋だろうがどこだろうが、電動車イスに乗った人間が普通に酔っぱらって電信柱にもたれて、みたいな。そういう環境の中で、できないところだけはできるやつがちょっと手伝ってあげる、っていう文化になってほしい。
萩原よくわかります、その感覚。
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萩原ここにきてパラの世界ってものすごい勢いで動き始めていると思うんですが、門田さんはどんなふうに見てらっしゃいますか?
門田今のパラはもう、IOCとIPCの変えられないビジネススキームでグーッと動いていっているように、僕の目には映っています。そういう流れの中で、見栄えのいい障がい者のスポーツだけが残り、重度障害がだんだん排除されていくんじゃないかなって不安はありますね。ゴールボールひとつとっても、ブラインドのクラス分けでB1、B2、B3っていうのがあるんですが、B1は全盲に近い状態、B3は弱視なんですけど、外国を見ているとほぼみんな選手はB3なんですね。ということは、トレーニングを教える方はものすごく楽なんです。
萩原楽というのは?
門田健常者は見て、学んで、やって、という具合に習得してゆくじゃないですか。B3の選手も、こうやって動くんだぞ、という説明で通じるんです。ところがB1の選手は、教えている人間の身体に実際に触らないと、形態がイメージできない。日本はB1クラスの選手がまだ結構多いですが、オーストラリアや、強くなってきているイラン、イスラエル、トルコといった国は、B3の選手が多くいます。
萩原それは難しい問題ですね。
門田いろんな種目がある、って意味では、国体の1カ月後にある全国障がい者スポーツ大会のほうが、よっぽどいい感じですよ。IPCの方は、今後はほぼプロに近い状態でやっていくことになるんでしょう。IOCの標準記録だってどんどんタイトになってきて、オリンピックなんてもう異次元じゃないですか。パラは大丈夫かなって思っていたんですけど、最近の動きを見ていると、パラもやっぱりオリンピックみたいになるのかな、って気がします。本音を言えば、アテネとか北京くらいのスキームでとどめておいてほしいんですけど、まあそれは国際情勢だから仕方ないですね。
萩原指導者やトレーナーさん、ご家族も含めて、障がい者スポーツのまわりの人の意識改革ってすごく大事ですよね。昨年受賞された臼井さん(義肢装具士)から、はじめはみんな家に引きこもって外に出たがらない、スポーツなんかもってのほか、だけど、義足つけて走るっていうことを始めたときに、みんなの顔が変わるし、家族がものすごく明るくなる、というお話をうかがったとき、スポーツってすごいなあと心から思ったんです。私は水泳ですが、水泳に助けられたことはたくさんあります。それは誰でも同じで、みんなスポーツに助けられたり、成長させられたり。そういう場を誰でも持っていてほしいですし、そういう場がいっぱいできたらいいなと思います。
門田その点、僕の地元の広島はいろいろなものの距離が近いですよ。選手も近いし、距離も近いし、気持ちも近いというか。僕、広島しか知らないんですけど、スポーツセンターは駅から歩いて10分くらいのところにあって、広島駅のすぐ近くにプールと体育館があり、広島で障がい者がなにかスポーツをやりたければ、そこに行けばいいんです。理学療法士も、自分が受け持っている患者さんがスポーツしたいって言ったら、そこの指導員に電話すればOKなんです。
萩原それは、都市によってぜんぜん違うと思います、ある県にお住まいの知人のお子さんがパラリンピックを目指したい、となって、水泳どこで受け入れてくれますか?と聞かれたんです。じゃあ私が探してみますとお答えして、その県のスイミングスクールの知り合いに聞いてみましたが、障がい者は受け入れられない、と断られたんです。公共の施設に聞いても、指導者もいなければ、施設の開放もない、「ちょっと危ないから難しい」という回答ばかりでした。
門田それ、「私が調べてみます」って答えたご自身が、めちゃくちゃつらいじゃないですか。
萩原つらかったですよ。個人的にその子とは何度か一緒に泳いだりしましたが、毎日は見てあげられない。あとは東京のクラブに行ってもらって、定期的に通う、それしか道がないんです。だから、環境ってものすごく大事ですよね。全国で広島みたいにはできないのでしょうか?
門田さっきも少し言いましたけど、そこが僕のやりたいことです。全国各県に必ず障がい者スポーツトレーナーが二、三人いて、もし情報公開をしていいって承諾してくれればですけど、彼らのことをネット上にあげる。障がい者スポーツでなにかあれば、この方に一度メールしてみてください、と。そういうトレーナーが、県内に3人くらいいれば、たとえ一人が対応できなくても、その人の仲間が対応してくれる、ってなるじゃないですか。今、トレーナーの資格を持った人間は100人くらいになったので、2020年の東京までに200人くらいに増やし、東京の前年までには冊子を作ろうと考えています。各競技の特殊性とか、この種目ではここが壊れやすいから、初めてトレーナーとして入る人は、ここのテーピングはできるようになって、ここのマッサージが上手になってるといいですよ、みたいなことが書かれてある手引きです。それと、各都道府県でのワークショップを東京のオリンピック・パラリンピックイヤーにかけてやってもらう。公共のスポーツセンターの指導員が必ず障がい者スポーツ指導員の中級以上は持っている、となれば、プールはあそこに行けば泳がせてくれる、もしくは、とりあえずは水につかるというトライアルをさせてもらえる、となるじゃないですか。
萩原門田さんは広島といういい環境で障がい者スポーツと関わってこられたんでしょうね。そのフィールドがあったからこそ、こっちに来て、えっ? って気付けたことがいっぱいあったのでしょうね。
門田そのとおりです。いつも講演の時に言うんですけど、広島市の身体障がい者スポーツセンターに山下さんと久下さん(他界)っていう指導員の方がいらっしゃる。この2人に出会わなかったら、僕はいまここにたぶん座ってない、と。講演の最後にはその2人の写真を出して、皆さんも地元の障がい者スポーツ指導員ととにかく仲良くなってください、と言います。指導者の方や指導員の方とコラボする、僕にとってはその出会いが今やっている事を始めるきっかけとなりました。このきっかけの作り方はみんなにも知って欲しいんです。そうすれば、第二、第三の僕みたいな人が出てきて、もっともっとトレーナーの世界が広がるはずですから。
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萩原私、トレーナーさんに身体を作ったり整えてもらったりすること以上に、心の部分でもかなり助けてもらっていたんです。競技をやっていくうえで、コーチにも、仲間にも、家族にも言えないことってやっぱりあるんですよね。それが、トレーナーさんに身体をほぐしてもらっていると、なぜかそういうことがポロポロ出てくるんです。不思議なんですよね。なぜかこの人に話したいっていう空間を作ってくれる人がプロだと、私は現役やめてから気づきました。体をリセットしてもらい、同時に心もリセットしてくれる、あの空間にもう一回戻りたいな、なんて気持ちになるくらいです。門田さんはどうですか?
門田特別な何かをしてやろう、とはさらさら思っていませんね。僕はできるサービスをします。マッサージをして、言っておかないとやらない子には、これやった? と確認する。仕事は淡々とやりますね。でも、ただ聞いているだけじゃなく、おかしいよ、って言う時もありますよ。特に国際大会になると、みんなどこかおかしいじゃないですか。今になって何を言いだすの?、みたいなことも起こります。舞い上がっている選手、勘違いしてる選手がいたら、意見するときもあります。
萩原確かにそうですね。いろんな人がいて、みんながみんな私みたいなタイプだけじゃないですよね。
門田国際大会は特にそうです。初めて来る選手と、3回来たことがある選手とでは精神状態も異なります。個人競技、チーム競技でもストレスの度合いは違ってきます。国際大会の本部トレーナーっていうのは、ある意味愚痴聞き屋みたいなところもあります。
萩原でも、トレーナーさんには言いたくなっちゃうんですよね(笑)。あれ、なんでしょうか?
門田わかんないです(笑)。実際、人に身体触らせるって、ものすごく特殊な状況ですよね。だからたぶんそこで、人間関係のハードルの高さも変わっているんだと思います。
萩原絶対的な信頼感がなければできないし、言えないですよね。
門田それはあると思います。まあでもね、しゃべりたいオーラが出てる時もあればね、こっちから話かけて、ああこいつしゃべるぞーっていう時もある(笑)。パラリンピックなんかになると、入村から退村までずっと一緒にいるわけですから。ベランダ出たらいたり、ダイニングで会ったり、何かにつけて空間を共にするじゃないですか。だから、目つきが変わってくるのもわかりますよ。で、だんだんと、こいつは今回は勝てないな、とかって感じるんです。
萩原すごいですね。やっぱりトレーナーさんっておもしろいですよ。
門田おもしろいですよ。たのしい稼業だと思います。こんなんでお金もらっていいのかなって思うときもありますから。
萩原楽しい、って言い切れるのがいいですよね。今一番心をとらわれてるテーマってありますか?
門田何が一番楽しいって聞かれたら、やっぱり高校1年生くらいのやつらとトレーニングしてるときが一番楽しいですね。中学校でブイブイいわしてたくせに、高1で高3に勝てないだろ、どうする?っていうような時が楽しいです、笑。あと、この仕事をしていて嬉しいのは、広島を出てったやつらが、帰ってきてくれるとき。うちのジムに顔を出してくれたり、ね。僕、高校生とか中学生が大好きなんですよ。
萩原わたしは笑顔が好きです。笑顔の普及活動をしたいって常々思っています。水泳の普及とともにやっているつもりですが、門田さんってすごく笑顔が素敵な方ですよね。笑顔が素敵な方って、絶対芯に強いものがあって。強さっていうのをすごく持っているから、余裕があるというか、いろんな人に優しくできる人のほうが多いと思うんです。
門田自分はただ笑っているだけですけどね。
萩原そう、それがいいんです。ただ笑っているだけ、ただやっているだけ、ただ手伝っているだけっていう、その自然体がいろんな人にとって魅力なんだろうなと思います。門田さんがただそこにいるだけで、私も頑張ろうって思いました。結局、トレーナーとアスリートってことですよね。(笑)。
門田僕に会って元気もらったっていったら、それでもう仕事終わってますからね。頑張りますって思えるようになってくれたら、こっちとしては大成功です。
<了>
写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo