小島遅くなりましたが、金メダルおめでとうございます。
江黑ありがとうございます。
小島現在は国立障害者リハビリテーションセンターにお勤めなんですね。
江黑はい。国立障害者リハビリテーションセンターの理療教育・就労支援部、理療教育課の体育の授業で教官を務めています。
小島センターに来る方は成人してから何らかの理由で目が見えなくなったり、視力が弱くなったり、視野が狭くなったり、という方なんですよね?
江黑もともとはそういう方が対象だったのですが、最近は盲学校卒業後に来られる方も多くなってきています。
小島私は生まれつき目が悪くて、分厚いメガネをかけていたんです。体育の授業になると、メガネをかけているだけでちゃんと走れないし、怖かったんです。生まれつき目に障害のある人は、私のあの恐怖心なんかよりも、もっともっと大変なんですよね。
江黑怖いと思いますよ。でもその怖さを乗り越えて、一歩こちらのほうに来てくれた、それが障害者のための授業なのではないでしょうか。視覚障害になって、そこから表に出るまですごく時間が掛かると思うんです。見えなくなった、でもやっぱり出て行かなくちゃならない、自立しなくちゃいけない、何かしなきゃいけない。みなさんそう思ってセンターに来ているので、安全にどれだけもっと他のことができるのか、いろんな動きができるよ、もっと楽しいことがいっぱいあるよ、ということを、体育の授業を通じて伝えられたらいいと考えています。
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小島そういう生徒さんを実際に競技としてのスポーツの世界に引き込む大変さは想像もつかないのですが。
江黑私自身は大変だったとは思わないけれど、選手たちは大変だったんじゃないかな(笑)。
小島ロンドンパラリンピックで金メダルを獲って、ゴールボールという競技がすごく注目されたと思いますが、競技人口は多いのですか?
江黑いえ、競技人口はまだ少ないですね。全体でも50人くらいですよ。
小島少ないんですね。
江黑少ないです。なので、選手間の競争がないんです。一番の問題は、知らないことだと思うんですよ。
小島「知らないこと」?
江黑競技の世界、誰かと競い合うっていうこと自体を知らないんですね。視覚障害者の子どもたちは基本的に自分から何かを発することが少ないんですよ。自分の意思や希望を表現しなくても、全部周りがやってくれることが多い。それに加えて、全く運動をしていなかった子たちをこういう世界に引き込んでいるので、その大変さはあります。今では、選手たちもかなり変わってきましたが、初めの頃は自主性や気持ちを伝える、という部分でとても苦労しました。
小島自主性ですか。
江黑自ら事を起こしていくということは、ゴールボールだけではなく、必要なこと、当たり前の姿だと思います。勉強だって自分がやりたいからやる。嫌々やっても身にはつきませんからね。
小島先生が今おっしゃっていることは、健常・障害っていう線を引かなくても、ごく当たり前のことですよね。
江黑私は視覚障害者の方とある程度長い時間を一緒に過ごしているのですが、「彼らは視覚障害だから」という意識はそれほど持っていないんです。もちろんできないことに関してはお手伝いするけれど、それ以外のことに関しては特にそこまで気を遣っていません。選手たちによく言うのですが、コートの中で挨拶をすることについても、選手の側から、視覚障害者の側から挨拶することだって当たり前のことだと思っているんです。
小島なるほど。
江黑でも面白いのは、「普通はこうじゃないの?」というような表現を私が使うと、怒る選手もいるんですよね。「先生の普通と私の普通は違う」って。普通談義に花が咲くっていうか(笑)。
小島普通にも種類があるんですね(笑)。
江黑視覚障害の方は、ひとりでいる時間の過ごし方が上手いんですよ。家でずっと音楽や朗読を聴いたりね。彼女たちが置かれた環境上、それは仕方ないことだと思うんです。ただ私は、もう少し人に興味を持ってもらいたいんです。普段の生活でコミュニケーションがとれないと、コートに入っても遠慮が出てしまう。そのためにも、もっと気持ちを伝え合う時間を多く持たないといけないと思いながら、合宿などに取り組んでいます。
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小島監督はそもそもなぜ女子のコーチになったんですか?
江黑今回のチームの女子キャプテンとずっと一緒にやっているんです。西日本大会で優勝して、全日本大会で優勝して、そこから世界大会へも一緒に行かせてもらって。その流れでコーチになり、監督になったという次第です。
小島私は女だらけの世界で育ってきたのですが、女子特有の雰囲気ってあるじゃないですか。その面で苦労されたことはありますか?
江黑「私には声を掛けてくれなかった」とか?(笑)
小島「あの子には優しい声を掛けていた」とか(笑)。
江黑初めの頃はありましたね。一緒にやってきた選手同士でも、「あの選手には指導するのに、私には言わない」とか。そんなことはないのに。
小島その感じ、わかります(笑)。
江黑あと、これは男子女子関係ないかもしれませんが、今でもあるのは、練習をやる子とやらない子の問題です。世界を目指している子と、ゴールボールを楽しみたいっていう子の間には、ギャップは必ず生まれてきて、「私たちはこんなにやっているのに、あの人はなんでやらないの?」ということになってしまいます。
小島そこはどうやって解決するのですか?
江黑最終的には、誰かと自分を比べる必要はない、と私は言います。彼女自身の数値を出して、前回の自分よりも良い数値が出ているのかいないのか、そこを見せます。「やらない」という感覚は価値観によって大きく違うので。
小島他に、チームを率いて行く上で、悩みはありましたか?
江黑選手たちをこの世界に引き込んだことが本当によかったのかどうかを、ロンドンパラリンピック前はすごく考えましたね。
小島そういう葛藤があったのですか。
江黑彼女たちはこの世界を求めて(国立福岡視力障害)センターに来ていたわけではなかったので。
小島自分から手を挙げて来たわけじゃなくて、やってみないか?という先生の言葉に誘われて来たと。
江黑だから、世界に出て行って負けるたびに泣く彼女たちの姿を見て思いましたよ。この子たちにどうしてこんなにつらい思いをさせなきゃいけないのか。私と出会わなければ、彼女たちは苦しまなくて済んだ。出会って、やることに決めてしまったから、その苦しみを経験しなければいけなくなってしまったんじゃないか、って。
小島その苦しみや困難、挫折に遭遇したときに、選手はどんな反応を?
江黑そこで負けて悔しくて、でもまたトライしたいっていう子たちだったから金を取ったんじゃないかなと思うんですよね。もちろんそういう中で挫折する子はいるとは思います。ただ、私がキャプテンにずっと言い続けたのは、「世界一になれるよ」って言葉でした。
小島その根拠は?
江黑ないですよ。
小島ないんですか!(笑)
江黑ないですね。でも私は言い続けました。「世界一になれるよ」「金メダル獲れるよ」って。
小島本当にそう思って言っていたんですか?
江黑獲りたいというのはありました。自分も昔野球をやっていて、その後夢を諦めて教員を目指したけれど、それもうまくいかなかった。そんな人間が、障害者スポーツの世界で日本一になり、日の丸なんてものを背負うようになって。これはチャンスだ、って思いますよね。
小島その夢を彼女たちと一緒に追いかけたい、と。
江黑正確には、私の夢を選手たちが一緒に追いかけてくれたんだって思うんです。でも、今はもう彼女たちにとっても自分たちの夢に変わったんじゃないかな。変わってくれていることを祈っています。
小島そんな中、パラリンピックで金メダルを獲ったときに、どういう風に思われました?
江黑彼女たちはすごいと思いました。金メダルを獲った瞬間というより、勝ち続けている彼女たちを見ていて、そう思いました。やりはじめた時の姿を知っているから、なおさらすごいなあ、って。獲った瞬間は「ありがとう」という言葉しかなかったです。準決勝のスウェーデン戦がすごく大変だったので、私はそのときに既に感無量で、涙まで出してしまったので、私自身は決勝ではもう泣きませんでしたが、やはり勝って喜びの涙を流している彼女たちを見ていると幸せな気分になりました。私には選手一人ひとりみんなが大切だから、選手が負けて泣くのがいやなんですよ。泣かせたことがすごくいやだから、私が泣かせるんです。
小島泣かせる?
江黑負けるってことは、人からやられて負けて泣くわけじゃないですか。だから、人から泣かされないように、私が泣かせるんです。
小島猛練習したり、練習で厳しくしたり、ということですか。
江黑とにかく負けるのはいやなので。ひとりも負けさせたくないんです。それはゴールボールだけじゃなくて、ひとりの人として、ゴールボールが終わって次へと羽ばたいたときに、ゴールボールをやっていたから私はこうなんだ、っていう自分を見てもらいたいんですよ。
小島結局そういう意味では、障害者スポーツも、普通のスポーツも変わらないですよね。
江黑そうです。
小島スポーツでがんばったことがベースになって、その後それを辞めて社会に出ても、「あのときがんばれたんだから、ここでがんばれないわけがない」と思える。
江黑障害者スポーツの中のゴールボールっていうよりは、スポーツの中の障害者スポーツであって、そこにゴールボールがあるんです。私の仕事はそれを発見できるようにしてあげることなのかなって思うんです。
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小島ロンドンでのパラリンピックは全体としてはどんな印象でしたか?
江黑お世辞抜きで本当によかったです。今回、日本とイギリスの試合はなかったのですが、どの国でも応援するんです。他だと小学生や団体を無理やり入れているような感じだったり、開催国の試合以外は人がいなかったり。でも、ロンドンは全試合満員でした。動く単位は、家族なんです。自分たちでこの競技が見たいって来てくれてるんですよね。
小島やはりイギリスはそういう部分で進んでいるのでしょうか。
江黑すごいですよ。夏休みでも土日でもないのに、すごい人の流れで、次はこれに行こう、次はあれに行こうって歩きまわっているんです。あの光景は素晴らしかった。会場だけではなく、街全体、ロンドン市民全体が盛り上がっている印象を受けました。
小島そしてもちろん会場の中の雰囲気もよかったんですよね?
江黑決勝は日本と中国だったのですが、日本にも中国にもすごい拍手でした。本当は拍手しちゃいけないのに、好プレーが出ると、わーっと盛り上がる。それでレフェリーにプレーを止められることも何度もありました。
小島それを経験した選手たちはどんな反応でしたか?
江黑普段それだけ大勢の人に見られてプレーすることがないので、はじめのうちはすごく緊張しました。「何人くらいいるの?」って選手に聞かれて、「そんなにいないよ」って答えたりして(笑)。
小島そんな雰囲気の中でチームを指揮するのは、ご自身も初めてですよね。
江黑はい。でも私は見られることは好きなので(笑)。私自身も最高の舞台を存分に楽しませていただきました。
小島東京では、どんなパラリンピック、オリンピックになってほしいですか?
江黑やはりロンドンのようになってほしいです。多くの方に足を運んでいただいて、こういうスポーツがあるということをみなさんに知ってもらいたいなと思います。そして、それを機に視覚障害を理解してもらうきっかけになればいいなと。なぜ街に点字ブロックがあるのか、そういうところから理解してもらえることを私は期待しています。
小島それでは最後に、今回の奨励賞受賞についての率直な感想を教えてくださいますか?
江黑縁の下の力持ち、裏方ということでの受賞と捉えられていますが、私はむしろ表に出ている方で、私自身がたくさんの裏方さんに支えられているわけです。コーチ、協会の方々、チームスタッフ、アシスタントコーチ、家族、そして職場の人々もそうですよね。
小島そういう中で、実際に賞を受けて、いかがですか?
江黑すごく嬉しいですし、励みにもなります。また、私の周りにいる人たちも、すごく喜んでくれています。
小島この人をちゃんと称えるべきだろう、そう言ってくれる人が、この世界に1人でもいるっていうことっていうのは、素敵なことですよね。
江黑そう思います。選手同様、私も含め、スタッフというのは、本当に苦労してきたので。
小島ヤマハ発動機スポーツ振興財団はチャレンジを応援したり、海外に行くことを応援してくれたりと、私もそのおかげで一回り、二回り成長できたと思っているのですが、江黑監督のこれからのチャレンジ、夢はなんですか?
江黑これからのチャレンジは、どう次のパラリンピックを獲るかだと思っています。あと、オリンピック、パラリンピックが東京に来て、東京の大会をどういう大会にできるのか。今、中学生や高校生とかの大会があるとちょっと覗きに行ったりしているのですが、そういう世代の人たちをどうするか、ということも考えますね。
小島2020年まで代表コーチや監督をやりたいと思われますか?
江黑それはどうなるかわからないです。もしダメだったら、他の国に行って東京に来ようかな。まだ出ていない国で(笑)。
小島そして日本の前に立ちはだかるわけですね。
江黑それはそれで面白いですよね。
小島それも普通のスポーツと一緒ですよね。ライバルが増えて、面白くなればなるほど見てもらえるし、競技人口も増えるでしょうし。
江黑そうですね。
小島次のリオパラリンピックは大変なんでしょうね。
江黑大変ですね。ロンドンの後2回国際大会に行きましたが、我々を見る目が違います。「日本だけには負けないよ」という空気がすごかったです。
小島周りからのプレッシャーは感じますか?
江黑感じます。ただ、まずは出場権を獲得しないと。来年6月に世界選手権があるので、そこで結果を残すか、あるいはアジア予選で獲るかです。今年はとりあえず底辺の拡大と基本的なことをやって、来年どうチームをつくってまとめていくかってところだと思います。
小島ご活躍を期待しています。今日はどうもありがとうございました。
<了>
写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo