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「世界のジョー」と呼ばれる日まで


新谷 誠

氏名 新谷 誠
競技名 アイスホッケー/選手

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「世界のジョー」と呼ばれる日まで
~プロアイスホッケー選手、新谷誠の挑戦~

どん底からの大逆転

アイスホッケーの強豪国であるロシアには、北米のプロアイスホッケーリーグNHLと肩を並べるKHLを頂点に、この下部リーグといえるVHL、そして若手を中心としたMHLという3つのプロリーグがあります。このロシアで2011年7月、モスクワに拠点を置く名門チーム、ディナモ・モスクワが一人の日本人とプロ契約を結びました。その日本人こそ、当財団OB(第4期生)の新谷誠(アラヤジョー)選手です。ディナモ・モスクワはそれぞれのリーグに属するチームを持っていますが、新谷選手はVHLとMHLに出場資格を持つ選手として3年契約を結び、2011-2012シーズンはMHLで11戦に出場して1ゴール、1アシストと結果を残し、シーズン終了後には「来シーズンはチームの主力として期待している!」という言葉とともに帰国しました。こうしてプロ選手としてのキャリアをスタートした新谷選手ですが、「いろいろあったけど、今はホッケーに集中できる環境が整い、ようやく目標に向けて踏み出すことができました」というように、ここまでの道程は決して順調ではありませんでした。

14歳でロシアにホッケー留学した新谷選手はディナモ・モスクワを経てスパルターク・モスクワ’93のアマチュアチームでレギュラーとしてプレーし、そこでの活躍が認められ2010年には日本人として初めてKHLのドラフトにノミネートされました。ところがそのドラフトでは指名がかからず、その後はトライアウトに参加するも落選が続きます。シーズン開始後もロシアをはじめヨーロッパ諸国で受け入れ先を探しましたが、移籍先が見つからないばかりかロシアでともに生活していた母親の知歌子さんが体調を崩したこともあり、ドラフト候補から一転、帰国の途につきます。

新谷選手が新天地として選んだのが、地元北海道の高校でした。しかし「日本での練習に馴染めなかったことに加え、膝前十字靭帯を部分断裂、半月板を剥離骨折… どんどん目標から遠ざかってしまい、ホッケーを諦めることも考えました。でも……」。

こうした状況を打開するため、新谷選手が選んだのはロシアでの再挑戦でした。「怪我を治して日本でがんばるという選択が妥当なことはわかっていました。ただそれ以上にロシアで大成したい気持ちが強かった」。そこで留学時代にお世話になったコーチに相談したところディナモ・モスクワのトライアウトへ参加するチャンスをつかみます。「脚の状態は完全ではなかったのですが、過去3年間の留学経験からロシアのホッケーではテクニックやチーム戦術が重要だとわかっていたので、自信のあるテクニックで勝負しました! 契約が決まったときは、これから始まるプロ生活への不安もありましたが、またロシアでホッケーができるという歓びでいっぱいでした」

※KHL(コンチネンタル・ホッケー・リーグ)は、ロシアを中心にベラルーシ・カザフスタン・ラトビア・スロバキアのチームで構成され、北米のNHLと並ぶプロアイスホッケーの最高峰リーグである。

プロとして生き抜くために

「契約を取り付けたものの、簡単に出場機会を得られるほどプロの世界は甘くありませんでした。悔しさとともに、なぜ使ってもらえないのかわからず、いら立ちも積もっていきました。でも気持ちが折れたことはありません。怪我もあり、氷上練習もできずホッケーを諦めようと考えた過去と比べれば、毎日大好きなホッケーができることが幸せに感じられたからです。今だからいえますが、自分がプラス思考になれたのは高校時代の厳しい練習を通して簡単には折れない心ができたから。高校の指導者には感謝の気持ちでいっぱいです」

もちろん新谷選手は、ホッケーができる環境に満足していただけではありません。試合に出場するための努力、またいつ試合にでてもいいように準備を続けていました。「チーム練習以外に、体格に勝るロシアの選手に負けないよう、体力・筋力を補うトレーニングを続けていたし、試合中には“なぜ彼はあそこにパスを出したんだ? 自分ならこうしたな?”とシミュレーションを続け、戦術理解とともに自分がリンクに立ったときのイメージトレーニングをしていました」。

そして、シーズンが残り11試合となったときついにチャンスが訪れます。「監督から“残り全戦にでてもらう。最後のチャンスだと思え”といわれたときは、不安はまったくなく素直にうれしかった。デビュー戦直前はパニックになるかもしれないという不安もありましたが、実際にリンクに立つと自分でも驚くほど周りがよく見えたのです。“やれる”という手応えをつかんだ瞬間でした」。そして2戦目に初得点、さらに3戦目にはアシストを記録して結果を残します。

こうした活躍の影には、自身を鍛え上げることとは別の努力も必要でした。「監督やコーチに認めてもらうことは大切ですが、チームメイトに認めてもらう努力もしました。そもそもホッケー大国で育った彼らには“日本人にホッケーができるのか?”という思いがあります。だから信頼されるよう、練習から積極的にアピールを続けました。また、コミュニケーションにも気をつかい、練習中はもちろん、練習後も会話するよう心がけました。そうするうちにアドバイスをくれるなど僕のことを気にしてくれる選手が徐々に増え、いつしかチームの輪に溶け込んでいったのです。ようするに僕自身が試合のなかでのびのびプレーできる環境を作ったことが結果を出せた大きな要因だと思います」。

このようにロシアで生き残る基盤を作った新谷選手ですが、「来シーズンはレギュラーに定着し、チームをプレーオフに押し上げる、またリーグ優勝に導ける選手になることが目標です。KHLへステップアップするにも日本代表に選ばれるにも、自分がおかれた状況のなかで目に止まるよう輝くことが大切ですから」。新谷選手はまずは“ディナモのジョー”になることを目指すわけですが、いつの日か“ロシアのジョー”、“日本のジョー”、そして“世界のジョー”と呼ばれる日がやってくるかもしれません。