スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

臼井二美男

【対談】臼井二美男×萩原智子

スポーツの効能みたいなもの

INTERVIEW
FUMIO USUI × TOMOKO HAGIWARA

萩原ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞受賞おめでとうございます。

臼井ありがとうございます。受賞は本当に嬉しかったです。せっかくの檜舞台なので、表彰式にうちのチームの何人かを呼んだのですが、あの日は会場に、義足ユーザーの人たちが15人くらいいたんです。佐藤真海さんも結構おしゃれして来てくれて。あんな立派な表彰式に臼井さんが呼ばれて、なおかつ一緒にその時間を過ごせた!と、みんながすごく喜んでくれました。

萩原臼井さんはシドニーの頃からパラリンピックに携わっていらっしゃって、その後アテネ、北京、ロンドンと続いています。

臼井そうですね。2000年のシドニーで2人、ハイジャンプの鈴木徹くんと、100mと200mで古城(暁博)くんという高校生が出場してくれました。そこに至るまでは、10年くらいかかりました。パラリンピックの選手レベルまではなかなかいきませんでしたね。

萩原パラリンピックの選手が出てこなかったのは、良い義足がなかったからか、そういう勇気が皆さんになかったからか、どっちなんでしょうか?

臼井両方です。スポーツ用義足の情報もなかったし、そういう義足があればどのくらい走れるかということも、日本人にはよく伝わっていなかった。スポーツ用義足に関しては20年くらい遅れていましたね。

萩原日本って、臼井さんみたいな職人さんがたくさんいらっしゃって、技術がすごく細かくて、上手にできるというイメージがあるんです。だから、義足だって諸外国なんかよりもよほど優れているんじゃないかな、って勝手に考えていました。

臼井スポーツに関しては、違いますよ。車椅子とかだと、障害者スポーツ=車椅子ってすごくわかりやすいじゃないですか。そういう認識なら30年前でもあったと思いますけどね。

萩原臼井さんの存在が、パラリンピックの常識、皆さんのパラリンピックに対する意識をすごく変えたんだ、って私自身は思っているんです。

臼井ありがとうございます。でも、まだまだ過渡期ですね。一昨年、ロンドンに行った義足の選手は7人いましたけれど、ほとんどはウチの関係です。ということは、他の地域からは選手が出ていない、ということを意味します。

萩原それはなぜですか?

臼井義足を作ってくれて、サポートしてくれて、練習方法を教えてくれて、練習する場所を確保してくれる、それらすべてを安定的にサポートしてくれる人たちがいないからです。

萩原私は日本水泳連盟の仕事で、水泳のパラリンピアンのほうも関係しているんですが、2020年の東京が決まって以降、みんなすごく張り切っています。そういった意味では、陸上も、義足の選手だって、もっともっと増やしていきたいですよね。

臼井そうですね。最近三重県の整形外科医の先生が中心になって、三重とか、愛知とか、岐阜の辺りの人を集めて、活動を始めていたりはします。最初はうちのチームに勉強に来て、やり方、エッセンスを持って帰ってもらって。もう1年ちょっと続いてますから、次第にサテライトのような存在はできてきました。

<次のページへ続く>



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