スポーツチャレンジ賞

このページをシェア

YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

INTERVIEW
MITSUNORI TSUMAKI × TOMOKO HAGIWARA

【対談】妻木充法 × 萩原智子

このままじゃマズい、が僕の治療を進化させる

なんでもわかる、なんでも治せるわけじゃない

萩原いえいえ、その夢はもちろん妻木さんに叶えて頂きたいですが(笑)、なかなか周りの人は許してくれないかもしれませんね。妻木さんを必要とする方々は患者さんにも、後輩の方々にもたくさんいらっしゃると思います。いま、東京メディカル・スポーツ専門学校のほうで副学校長をやられているそうですけれど、実際に現場で教えてもいらっしゃるのですか?

妻木授業はね、ほんの少しですけど、やってます。アスリートサポートクラブっていって、この学校は理学療法士と柔道整復師と鍼灸師を養成する場所なんですよ。その中でもトレーナーになりたいっていう人を対象に少しだけ講義を持っています。

萩原どうですか、教えるという作業は?実際に鍼をやる現場と教える現場とではまったく違うと思うのですが。

妻木みんなすごいですよ、目標があって、すごく熱心です。輝いてます。僕の頃とは違うなって思いますね。

萩原トレーナーの育成とか、今後、もっと積極的にやりたいとか、そういうことは特にないですか? お弟子さんを持つとか。あるいは、もういらっしゃるのですか?

妻木昔はいましたけど、皆さんもうすっかり一流になって第一線で活躍されています。だから、僕がやるより彼らがやった方がいいんじゃないかなって感じですね。

萩原いやいやいや。元祖はやっぱりそこにいてくれないと!迷ったときに帰ってくる場所がないと皆さん困るじゃないですか。妻木さんみたいな人がそばにいてくれると、スポーツ選手、あるいは審判の方々は安心して仕事ができますよね。もちろん一般の患者さんの方々も。

妻木それはよく言われますね。

萩原逆に言うと、みんなもう、妻木さんを失うのが怖くてたまらない状態なのかもしれません(笑)。

妻木でも、僕だってなんでもわかる、なんでも治せるわけじゃないですよ。治すのが難しい人もいますし、良くならない患者さんももちろんいます。

萩原例えば、妻木さんが苦手としている、治しにくい症状などはあるのですか?

妻木例えば、足首でも軽い捻挫くらいならいいですけど、断裂とか、剥離骨折した後にボルト入れて治したけれど痛くてダメだ、とか、そういう術後の症状は得意じゃないですね。構造的におかしくしなってしまったものを治すのは、僕らよりも理学療法士が診てくれたほうがいい。それはいわゆるリハビリに近い作業です。もちろん鍼灸も助けながらリハビリを進めたほうが上手くいくと思いますが、鍼灸だけじゃ限界はあります。それと、これはもう当たり前の話ですが、やはり若い人は治りが早いし、お年寄りは長引きます。これから成長していく人っていうのは、ちょっとしたことだけで反応してくれますけど、僕みたいに下り坂の人間はそんなに簡単じゃないですよね。下り坂の人を上り坂にするって難しいんです。

萩原なるほど。

不思議なもので、気持ちが変わると調子が良くなってくる

妻木本当に難しいんです。いまだにわからないんですが、良いほうと比べて悪いほうを良くしようすると、痛いところが動かなくなってしまうことがある。逆に、良いほうをちょっと戻して、悪いほうをちょっと上げる、というふうに、左右差を無くすると、あまり違和感を感じなくなって、全体としてはよくなる印象を受けたりもします。

萩原つまりバランスの問題だと。

妻木そう。一言で言えばそういうことになります。

萩原でもそれだけで、気持ちの部分もすごく変わりますよね。

妻木不思議なもので、気持ちが変わるとこれがまた調子が良くなってくるんです。

萩原心が前向きになりますね。私、現役時代に妻木先生にお会いできていたら、面白かっただろうなあと思います。特に2回目の現役の時、5年間現役を休んでいて。毎日やっていたストレッチもまったくしていなかった。ですから、背泳ぎなんて、痛い!痛い!って感じで泳いでいたんです。日常生活で後ろに手を回すことなんてないので。

妻木少なくとも肩や背中の可動域は変えることができたでしょうね。

萩原でも可動域が得意なのに、水泳選手との出会いがなかったなんて、不思議ですよね。水泳選手は、可動域が大事なスポーツなのに。

妻木だからそれもやっぱり縁ですよね。本当に縁です。

萩原じゃあこの縁をきっかけに、今度は水泳のほうへいらっしゃってくださいよ。

妻木そうですね、機会があれば是非。

萩原だったら私も、もう一回現役に復帰しようかな(笑)。

<了>

写真=近藤 篤 Photograph by Atsushi Kondo

インタビュアー

萩原智子

TOMOKO HAGIWARA

(はぎわらともこ、1980年4月13日)中学3年生時に、海外遠征カナダ選手権200m背泳ぎで、当時、日本歴代2位となる日本中学新記録樹立。高校インターハイでは、200m背泳ぎで、3連覇達成。同年アジア競技大会では、個人、リレー種目で、3個の金メダルを獲得。2000年シドニー五輪、200m背泳ぎ4位、200m個人メドレー8位入賞。2002年日本選手権では、100m、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレーで史上初の4冠達成。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、2004年現役引退。5年の歳月を経て、2009年現役復帰宣言。復帰レースとなった新潟国民体育大会では大会新記録で優勝。翌年2010年には、30歳にして日本代表に返り咲いた。同年、ワールドカップ東京大会で50m自由形、100m個人メドレーで、短水路日本新記録を樹立。順調な仕上がりを見せていた矢先、五輪前年である2011年4月に、子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され、手術。手術後は精力的にリハビリに励み、レース復帰。2012年2月のJAPAN OPENでは、50m自由形で短水路日本記録を樹立。4月に行われたロンドン五輪代表選考会ではレベルが上がってきた女子自由形で、堂々と決勝に残り、意地を見せた。2013年6月、日本水泳連盟理事に就任。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動など多岐に渡る活動を行っている。また、自ら現場に行って取材を行い、ライターとしても活躍中である。



「BACK STORIES」トップにもどる
「スポーツチャレンジ賞」トップにもどる

一つ前のページにもどる