スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

INTERVIEW
MITSUNORI TSUMAKI × TOMOKO HAGIWARA

【対談】妻木充法 × 萩原智子

このままじゃマズい、が僕の治療を進化させる

いつもその時のことだけしかやってないんですけど、それが最終的にいろいろ繋がってくるんです。いろんなことを、自分で実際に体験されて、どんどん吸収して。すごいなあと思います。

理論として説明できるようになったのはつい最近のこと

萩原昔は試合前によくストレッチしろと言っていましたけど、最近は試合前に伸ばしすぎるとダメ、となりましたよね。

妻木30秒以上ストレッチすると、必ずパワーは落ちます。だから競技前に長いストレッチはできない。鍼治療でも同じように筋力が落ちるだろうなと思って、バイオデックスで測定してみました。ところが、これが落ちないんですよ。筋力が落ちることなく可動域は広がる、柔軟性は増す、ということはパフォーマンスの向上につながるかもしれません。加えて、この治療を行うと、自律神経の中の副交感神経だけ優位になってくるんです。だからリラックスすることもできる。

萩原すごいですね。妻木さんのそういった治療方法はご自身が編み出したのですか? 

妻木私の治療はいろんなものの組み合わせなんです。ひとつはオーリングテストっていうんですけど、これは1970年代に大村先生っていうニューヨーク在住の日本人の先生が発明したテストフォームです。そこに従来学んできた鍼、最近ではYNSA、山元式新頭針療法っていう治療法にも注目しています。あとは漢方薬もすごいですね。鍼だけだとある程度はよくなるけれど100%の効果がなかなか出ない。そこに漢方薬の力を加えてあげると、劇的に症状が改善することがあります。

萩原妻木さんのようなトレーナーさんってなかなかいないですよね。鍼だったら鍼だけっていう人が多いのではないですか。

妻木僕自身は、必要なものを選んで組み合わせてきたわけです。やっていると困ることがあるじゃないですか。それでどうしたらいいかと考えて、順番に少しずつ改良していくんです。

萩原今のスタイルを作り上げたのはいつくらいなのですか?

妻木最終的には2年くらい前ですかね。もちろん完全には分からずに似たようなことをやってきました。でも理論として説明ができるようになったのは本当につい最近、大学院を出てからです。

目の前にあることを一生懸命やるだけ

萩原いくら頭の中ではわかっていても、なかなかそれまでの自分の人生を方向転換して、大学院で新しいことを学ぶってできないですよね。

妻木一生のうちに何回か、「これじゃマズい」って思う時ってないですか?

萩原たくさんあります(笑)。

妻木あるでしょ?その人生何度目かの「これじゃあマズい」が、54歳の僕に来たんですよ。

萩原何がこのままじゃマズいと思ったんですか?

妻木Jリーグが始まってから、僕はずっとジェフで10年以上働いていました。54、5歳、この業界だと若い人と交代したりして、皆さんだいたい引退し始める年齢です。僕はたまたままだやらせてもらっていましたけど、このままトレーナーで終わりじゃ絶対にマズいな、と思っていました。ちょうどそのタイミングで、2005年にクラブW杯が初めて日本で開催され、日本サッカー協会から、審判のケア部門で応援に来てもらえないかという依頼があったんです。そのときの仕事を気に入ってもらえて、翌年ドイツでのW杯にもFIFAから声がかかりました。嬉しかったんですけど、2006年は2006年、一発勝負で終わりじゃないですか。それでまたジェフに戻って、いずれそこでのキャリアも終わってしまう、それはマズいんですよね、やっぱり。

萩原妻木さんとしてはもっとステップアップしたかった?。

妻木そうです。これはあまり言っていませんが、教員の道っていうんですかね、鍼灸の先生になるか、それとも大学院に行くかちょっと迷ったんです。でも最終的には、教員になってもつまらない、研究したほうが面白いんじゃないかなと判断しました。だから順天堂大学に行き、ドイツ大会に行き、ジェフは辞めたんです。クビになるならその前に自分から辞めたほうがいいんじゃないかって。その後は、東京スポーツレクリエーション専門学校に顧問という立場で入れてもらい、そこから新しい勉強を始めました。

萩原意地悪な質問ですけれど、大学院を2012年に卒業されて、その後ステップアップしてますか? 

妻木ステップアップはしてないかもしれないな(笑)。でも2012年を過ぎたあたりから様々なことに気付き始めたので、大学院に行って本当によかったなと思っています。あれ行かなかったらダメでしたよね、たぶん。

萩原妻木さんは本当に様々なことをやってこられていますね。勉強ももちろんそうですし、いろんなことを、自分で実際に体験されて、どんどん吸収して。すごいなあと思います。

妻木不思議ですよね。本当に不思議。その時はわからないんですが、結局、大学で学んだ心理も役立ちますもんね。その時はいつか役立つだろうなんて思ってやってないんです。でもその脳や自律神経についての勉強や研究が、30年後に突然生きてくる。よく世間では「思えば実現する」とか言うじゃないですか。僕自身は、目標を決めて少しずつそこへ向かってゆく、というタイプではありません。いつもその時のことだけしかやってないんですけど、それが最終的にいろいろ繋がってくるんです。

萩原その時々の、目の前にあるものを一生懸命やるだけだ、と。

妻木四六時中ずっと一生懸命やっていたわけじゃないですけどね(笑)。

萩原次の「このままじゃマズい」はいつ頃出てくるのでしょうか?

妻木孫ができて、お墓も買っちゃって。だから、もう「このままじゃマズい」はいいんじゃないですか。あとは、図書館行って、ちょっと喫茶店行って、本読んで。それが夢、と言っちゃうとかっこよくないですかね。

<次のページへ続く>



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