スポーツチャレンジ賞

スポーツ界の「縁の下の力持ち」を称える表彰制度
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第7回 奨励賞 妻木充法

第7回 奨励賞 妻木充法

公正なジャッジを支える「鍼治療」の技術

大学在学中に角膜移植の手術を受けたことにより、卒業後は小守スポーツマッサージ療院で働きながら、夜間の専門学校に通って鍼灸師の資格を取得。アイスホッケーやプロ野球チームなどのトレーナーを経て、1979年のFIFAワールドユース日本大会に出場するサッカー日本代表にトレーナーとして帯同した。これを起点として、以来、FIFAワールドカップスペイン大会やメキシコ大会、ロサンゼルス五輪やソウル五輪出場をめざすサッカー日本代表のトレーナーとして活躍した。この時期、選手とともに国際舞台への挑戦をめざしながらそれを実現できなかったことで、「自分の中でワールドカップに対する気持ちが膨らんでいった」。

一念発起したのは1988年。単身ドイツに渡り、ヴェルダー・ブレーメンのトレーナーとして働きながら最新の情報、技術、設備、組織などを学んだ。日本とドイツの資格制度の違いから正式契約には至らなかったが、所属していたシーズンにブレーメンがブンデスリーガを制覇するなど、「技術は世界でも通用する」という手応えをつかんでの帰国となった。帰国後は、日本サッカーリーグ1部に昇格した松下電器サッカー部のトレーナーを経て、プロ化をめざす古河電工サッカー部のトレーナーとなり、Jリーグ発足後はそのままジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)のチーフトレーナーに就任した。

ジェフ所属のリトバルスキー選手は妻木氏を「マジックハンド」と呼び、ブレーメン時代の所属選手でもあったオルデネビッツ選手は妻木氏の手技との再会を喜んだ。またその一方、1993年にはJクラブのトレーナーのレベルアップを目的としたJリーグスポーツマッサー研修会(現・Jリーグアスレティックトレーナー会)を発足し、初代会長にも就任した。

レフェリーのメディカルサポートに初めて携わったのは、2001年FIFAコンフェデレーションズカップ日韓大会。日本サッカー協会からの要請により、2002年FIFAワールドカップ日韓大会、FIFAクラブワールドカップ日本大会でもレフェリーのメディカルサポートチームに加わった。これらの大会で妻木氏の「即効性の高い確かな技術」が注目を集め、2006年FIFAワールドカップドイツ大会からは、スイス人のマリオ・ビジーニ氏とともに特別枠のトレーナーとして主要大会で活躍している。

そうした中、神秘的な東洋医学について各国レフェリーから「Why?」と尋ねられることも少なくなく、それらの質問に対して明確な回答や根拠を示すこと、また後進のレベルアップに貢献することを目的に順天堂大学夜間大学院に社会人枠で入学(2014年春・修了)。医学博士号(Ph.D)を取得した。現在は東京メディカル・スポーツ専門学校の副学校長として、次代のスポーツトレーナーの育成にも尽力。現日本代表トレーナーの前田弘氏やコンディショニングコーチの早川直樹氏はジェフ千葉で師弟関係にあり、元ベトナム代表トレーナーの藤本栄雄氏は東京メディカル・スポーツ専門学校の卒業生。

第7回 奨励賞 妻木充法

妻木充法医学博士、鍼灸あん摩マッサージ指圧師、日本体育協会公認アスレティックトレーナーマスター

FIFA ワールドカップやオリンピックのサッカー競技では、1大会につき約80人のトップレフェリーが召集され、6〜8人のトレーナーがレフェリーのメディカルサポートにあたっている。通常、レフェリー部門のトレーナーは開催国のサッカー協会が選出するが、妻木氏は2006年ワールドカップドイツ大会以降、FIFA からのインビテーションによる特別枠のメディカルスタッフとして主要大会で活躍している。これまで五輪を含む通算22の国際大会で鍼治療の手技をふるい、唯一の東洋医学の専門家として各国のレフェリーから厚い信頼を集めている。37年におよぶトレーナー経験と確かな医療知識に裏付けられた施術により、ピッチ上の公正なジャッジを縁の下から支えるとともに、東洋医学の認知や信頼性向上に貢献している。