スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE PRIZE SPECIAL CONTENTS

野口智博

毎年、ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞の授賞式が終わって1ヶ月ほど経ったあたりから、僕は受賞者の方のパーソナルヒストリーに耳を傾け、原稿用紙にして15枚程度のショートストーリーにまとめる作業を始める。

基本的に、受賞者の方の職業がなんであれ、どのカテゴリーのスポーツであれ、彼らの語る話はいつだって面白い。中でも、みなさんそれぞれ今の仕事につくきっかけが人生のどこかにあって、その偶然のようでもあり必然のようでもあるエピソードが話の中に現れる瞬間が、個人的には一番興味を惹かれる。

今回奨励賞を受賞した野口智博氏は、リオデジャネイロでのパラリンピックで全盲のスイマー木村敬一選手とタッグを組み、日本チームに銀メダル二つ、銅メダル二つをもたらした。野口先生のお話を伺ったのは、世田谷区桜上水にある日本大学文理学部キャンパスでだったが、先生の場合は話が始まって5分も経たぬ間に、その瞬間が訪れた。

実は私、カナヅチだったんですよ。目の前に座る日本有数の名水泳コーチは、びっくりするようなことをサラリと言った。

野口先生は、小学校2年生の時、友達とふざけあっていて川に落ち、溺れかけ、ものすごく幸運なことにたまたま通りがかった女性に助けられ、その数時間後、水泳スクールに通うことが決まったのだそうだ。(決めたのは野口先生本人ではなく、先生のお母さんだった)

以後、そのカナヅチの少年は水の世界に生き、年月の経過とともに成長し続け、日本記録保持者となり、引退後は指導者となる。あと少し救助が遅れていたら、もしかすると水の底に沈んだきりになっていた少年が、その数十年後に全盲のスイマーと二人三脚を組み、パラリンピックで銀メダル二つと銅メダル二つを獲得することになるわけだ。随分不思議な、寓話と形容したほうがしっくり来るようなお話である。

野口先生はインタビューの中で、木村敬一選手がリオデジャネイロで偉業を達成するためには、実に様々な偶然が重なったが、それらの偶然は今考えてみれば全て必然だったのかもしれません、というセリフを口にした。であるならば、リオでのサクセスストーリーは、カナヅチだった野口少年が(必然的に)川に落ちたところから始まったのかもしれない。

さて次はどんな新しい物語が野口先生の周りで生まれるのか、楽しみに待ちたい。

写真・文

近藤篤

ATSUSHI KONDO

1963年1月31日愛媛県今治市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語科卒業。大学卒業後南米に渡りサッカーを中心としたスポーツ写真を撮り始める。現在、Numberなど主にスポーツ誌で活躍。写真だけでなく、独特の視点と軽妙な文体によるエッセイ、コラムにも定評がある。スポーツだけでなく芸術・文化全般に造詣が深い。著書に、フォトブック『ボールピープル』(文藝春秋)、フォトブック『木曜日のボール』、写真集『ボールの周辺』、新書『サッカーという名の神様』(いずれもNHK出版)がある。



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