スポーツチャレンジ賞

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第9回 奨励賞 野口智博
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第9回 奨励賞 野口智博


障害者スポーツ全体の課題に先鞭をつけた挑戦〜トップ選手の指導からパラアスリート強化の現場へ〜

主将を務めた日大水泳部時代は、1500m自由形でインカレ個人4連覇を達成。社会人選手として出場した1990年北京アジア大会では、400m自由形でアジア新記録を樹立した。引退後は日大水泳部のコーチに就任し、インカレ3連覇に貢献。その後、日本体育大学大学院にて体育科学修士となり、のちの水泳指導の糧となる基礎理論を確立していった。

筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚支援学校)時代に北京パラリンピックに出場した木村敬一選手が、一般入試で日大に進学したのは2009年。野口氏が顧問を務めていた水泳サークル(故・古橋廣之進氏が創設した「水泳普及研究会」)に入会した。母校の教員、寺西真人氏に付き添われて初めて日大プールを訪れた木村選手が、「その2日後に一人で来たことに驚いた」と振り返る。

サークル顧問の野口氏と、所属学生の一人だった木村選手の関係が変わるのは、金メダルにあと一歩届かなかったロンドンパラリンピックの終了後。2013年に木村選手のパーソナルコーチとなり、以来、リオでの金メダル獲得をターゲットに二人三脚の3年半がスタートした。

9時から始まる大学の教壇に立つため、選手一人、指導者一人の練習は毎朝6時からスタート。コンディション管理のため、まだ健常者スポーツの世界でも普及していなかった唾液採取を欠かさず行うことも日課となった。タッピング棒を片手に、泳ぎ込みを行う木村選手を先回りしてプールサイドを往復するのも野口氏の仕事(安全確保の観点から後に2名体制に変更)。午後にはフィジカルトレーニングを終えた木村選手と学外のプールで再合流するなど、マンツーマンによる週10回のハードな練習はリオ大会まで続けられた。

「幼少時から全盲の選手は、運動のイメージというものを持っていない。たとえば『ひねる』という運動を表す言葉でも、晴眼者が身に着けている軸を中心に回すという感覚が視覚障害者にはない」。「そもそも、まっすぐに泳ぐことが難しい。コースロープに当たりながら、そのコースロープをガイドにして泳ぐ。当然、無駄なパワーを使うことになるので、エネルギーのタンクはより大きくなければならない」。こうした考えから、テクニックよりパワーを重視した指導方針が生まれ、磨かれていった。

そして迎えたリオパラリンピックでは、50m自由形(S11)と100mバタフライ(S11)で銀、100m平泳ぎ(SB11)と100m自由形(S11)で銅と、合わせて4つのメダルを獲得した。その間、2013年のIPC世界水泳選手権では2つの金メダル、2015年の同大会でも2つの金メダルを獲得している。

「選手としても障害者としても僕のことを理解してくれ、一緒に戦ってくださった。スタート台に送り出す最後の最後まで、常に最善を尽くしてくれた。『ありがとうございます』では語りつくせない、いちばん感謝したい人」と、木村選手。2020年に向け、パワーを重視したこれまでの指導方針から「技術改善」へと方向を転換し、また初めての本格的な高所トレーニングを導入するなど、全盲スイマーの新たな境地の開拓にチャレンジしている。

第9回 奨励賞 野口智博

野口智博日本大学文理学部 教授/木村敬一選手パーソナルコーチ (1966年生・島根県出身)

顧問を務めていた日本大学の水泳サークルに、北京パラリンピックに日本代表として出場した木村敬一選手が入会。ロンドンパラリンピック後の2013年からは、同選手のパーソナルコーチとして二人三脚でリオでの金メダル獲得を目指した。自身もかつて400m自由形と800mリレーの日本記録を保持していた元トップアスリート。同時に日大水泳部の総合コーチとしてインカレ3連覇に貢献した指導者でもあり、水泳・スポーツトレーニング分野の研究者でもある。そうした豊富な経験と知識に裏打ちされ、また研究者としての探求心にあふれた3年半にわたる情熱的なマンツーマン指導によって、木村選手はリオパラリンピックで2つの銀メダルと2つの銅メダルを獲得。2020東京パラリンピックに向かう道筋の中で、障害者スポーツ全体が抱える「質の高い指導者の不足」という課題に対し、健常者トップスポーツの指導現場で得た科学知と実践知を「全盲」という個性に応用する指導スタイルに挑戦し、成果を挙げた。



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