スポーツチャレンジ賞

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第3回 奨励賞 中北浩仁
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第3回 奨励賞 中北浩仁


強化システムの大改革で日本初のメダル獲得にチャレンジ

パラリンピック2大会連続で5位に終わった日本チームのメダル獲得を託され、ソルトレーク大会の終了直後に日本代表の監督に就任。選手の意識改革や、後ろ向き滑走をはじめとする個人技術の向上、さらに健常者アイスホッケーの戦術等を積極的に採り入れながら世界と戦うための土台づくりに着手した。2006年トリノパラリンピックでは決勝トーナメント進出を逃し5位に終わったが、勤務先である日立製作所に熱心なプレゼンテーションを繰り返し、その結果、日立グループ16社からの強化支援資金提供を実現した。これによりさらに強化を加速させ、強豪国への遠征を含む年間20〜25試合もの国際試合のマッチメークや、主力選手の海外への武者修行を実現させながら、会社員としての業務の合間を縫って各国の競技団体との外交ルートを築き、積極的な情報収集にも当たった。2010年バンクーバーパラリンピックでは、チェコと韓国を連破して決勝トーナメントに進出。準決勝では地元カナダを破る快挙を成し遂げ、銀メダルを獲得した(決勝戦はアメリカに敗戦)。2014年ソチパラリンピックでは、「世界ランキング1位のアメリカを決勝で倒して金メダル獲得」をめざす。

第3回 奨励賞 中北浩仁

中北浩仁アイススレッジホッケー日本代表チーム監督

6歳でアイスホッケーを始め、高校時代はカナダで、大学時代はアメリカのNCAAリーグで活躍。4年時に膝の靭帯を断裂して引退を余儀なくされたが、卒業後は日立製作所に入社して主に海外での事業に携わる。2002年、アイスホッケーの経験と見識を買われて、アイススレッジホッケー日本代表チームの監督に就任。勤務先である日立グループの支援を受けながらそれまでの強化策に改革を加え、2006年トリノパラリンピックでは5位、2010年バンクーバーパラリンピックでは銀メダルの獲得(パラリンピックの男子団体競技では夏季/冬季合わせて日本初)に貢献した。



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