スポーツチャレンジ賞

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第10回 奨励賞 狩野美雪
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第10回 奨励賞 狩野美雪


トップ選手の経験を活かした指導でデフバレーボール日本女子代表を金メダルに導く

安定感にあふれた守備と幅広い攻撃が持味のユーティリティ・プレーヤーとして、V・プレミアリーグやデンマークリーグ、また全日本では北京オリンピック等で活躍。2011年に現役を引退すると、大学時代の後輩で、卒業後も親交のあった今井起之前監督の要請でデフバレーボール日本代表女子チームの合宿にコーチとして参加した。その直後、33歳の若さで今井氏が急逝。「できる・できない、やりたい・やりたくないではなく、やるべき」と決意を固め、闘病中に「万が一の時は頼む」と伝えてきた今井氏の思いと、周囲の熱望に応えるかたちで監督に就任した。

しかし、戸惑いも少なくなかった。「選手とのコミュニケーションの取り方もつかめず、これくらいはできるだろうと組んだ練習メニューも予定通りには進められなかった」と就任当初を振り返る。同時に長く付き合ってきたバレーボールが、「いかに聴覚情報を必要とするスポーツかということに初めて気づいた」。選手ばかりでなく、競技に関わる多くの人々が聴覚障害者であるデフスポーツの世界では、「自分こそがマイノリティなんだ」という意識を強く持つようになっていった。

実際の指導の場面では、協会スタッフやコーチなどと議論を重ねながら、視覚によって伝える指導に注力した。たとえば健聴者が手に当たる音で瞬時に判断しているブロック時のボールの軌道変化を、ゴム紐を使って見える化した工夫もその一つ。また、「ボールを切る」「トスが割れる」といった手話通訳を介しては伝わりにくい専門的な言葉遣いを改めるなど、技術指導のメソッドを一つひとつ積み上げていった。良いプレー・悪いプレーを見せて理解させるため、現役時代の仲間であるトップ選手に協力を願って合宿に足を運んでもらうこともたびたびあった。

しかし、結果はすぐには出なかった。2012年の世界選手権は5位。日本デフバレーボール協会の大川裕二理事長は、「ここがターニングポイント。その惨敗から明らかに練習の質と量が変わった」と話す。チーム内で細かくプレーの約束事を共有し、その基本動作を徹底して反復した。また、練習後には必ず1時間の体力トレーニングが行われるようにもなった。そうして迎えた2013年デフリンピック・ソフィア大会では、準決勝で強豪アメリカをフルセットで下す粘り強さを見せ、銀メダルを獲得した。

大会後、2017年サムスン大会を見据えて4年間の強化計画を組み、新たに東西二つの拠点を設けて強化の効率化に取り組むなど環境改善にも奔走。目標は、金メダルのみ。健聴者のプロチームとのマッチメイクやVリーグ機構への募金の働きかけ、賛同者を増やすために苦手な講演等も積極的にこなし、時には選手の勤務先に足を運んで理解を請うなど、コート外でも強化のために動き回った。

そうしたチャレンジの末、昨年のサムスン大会では4大会16年ぶりの金メダルを獲得。高さとパワーのある強豪国に対し、鍛えてきた日本の強み「ひろう・つなぐ粘り強さ」と「徹底した約束事の遂行」、そして磨き上げた「緻密なプレー」で目標に到達した。次なる目標は2021年デフリンピックでの連覇。「もちろんそこを目指しながら、日本デフバレーが次のステージに進むための土台を作りたい」と新たなチャレンジを開始する。

第10回 奨励賞 狩野美雪

狩野美雪デフバレーボール日本代表女子チーム 監督(1977年生・東京都出身)

東京学芸大学卒業後、V・プレミアリーグの茂原アルカスや久光製薬スプリングスの主将として活躍。2008年には全日本に選出され、北京オリンピック世界最終予選と北京オリンピックに出場した。2010年、フォルトゥナ・オーデンセに入団し、2010-11デンマークリーグでのプレーを最後に引退。帰国後、デフバレーボール日本代表女子チームの監督に就任した。トップ選手として活躍した豊富な経験や人脈を活かした指導、またより良い強化体制のための環境整備にも積極的に取り組み、チームを2013年デフリンピック・ソフィア(ブルガリア)大会で銀メダル、2017年デフリンピック・サムスン(トルコ)大会では4大会ぶりの金メダルに導いた。



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