スポーツチャレンジ賞

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YMFS SPORTS CHALLENGE AWARD SPECIAL CONTENTS

INTERVIEW
SHINICHIRO FUJIWARA × TOMOKO HAGIWARA

【対談】藤原進一郎×萩原智子

スポーツの生活化を目標に

プールに行って、水着一つになって水に入る、そりゃあ気持ちいいもんですよ。新しいスポーツ施設、きっと皆さん喜ばれていたんでしょうね。

障がい者スポーツの素人だったからこそ

萩原私自身も、障がい者の方のスポーツ=リハビリ、治療、そういう風にしか捉えられなかった時期がありました。先生が、障がい者の方も普通にスポーツを楽しむべきだ、と思われるようになった何かきっかけはあるのですか?

藤原いえ、特別な出来事は何もないです。スポーツセンターの指導課長に就任した際、ある意味で私は障がい者スポーツの素人でした。でも、素人だったからこそ、スポーツをリハビリや治療と捉えることがなかったのだと思うんです。

萩原センターはあくまでも皆さんにスポーツを楽しんでもらう場であって、治療の場所ではありませんよ、ということですね。

藤原その点は徹底していましたね。PT(理学療法士)も一人はいたんですが、その子がつい自分の専門分野に傾きかけると、いつも私に説教くらっていましたねえ、笑。

萩原利用者の皆さんの反応はどうでした?今までのコンセプトとは全く違う新しいスポーツ施設、きっと皆さん喜ばれていたんでしょうね。

藤原例えばプールに行って、水着一つになって水に入る、そりゃあ気持ちいいもんですよ。障がい者の方だけじゃなく、我々だってたまに身にまとっているものをすべて取り払って水の中で泳ぐ、それだけで随分気分が良くなるわけじゃないですか。他にもセンターには、ボウリング場だとか卓球場もありましたから、皆さんそれなりに楽しんでいただけたんじゃないでしょうか。

萩原その他に、先生がこだわられたことはありますか?

藤原ボールでも道具でも、そういうものは倉庫にしまっておくのではなく、出しっ放しにしておきなさい、ということですかね。これは最初スタッフには嫌がられたかもしれません。出しっ放しにしながら、でもちゃんと管理をしろと言われる、現場の人間は少々困惑しますよね。

萩原すぐにそういう道具やボールを手にして、スポーツで遊べる空間を作りたかった、ということですよね?そういう発想は、どこから出てきたのですか?

藤原うーん、わかりませんねえ。学校にいたから、いや、どうなんでしょうか、そこらへんもあまり深くは考えたことがありません、笑。

障がい者のスポーツに競技スポーツの考え方を持ち込んだ

萩原スポーツセンターで指導課長としての忙しい日々を送られる一方、藤原先生はパラリンピックのコーチ、監督、団長さんとしての活動も精力的にこなされてきました。

藤原スポーツセンターができたのは昭和49年、その数年後には私もいろいろな活動に参加させていただくようになりました。それまでのパラリンピックの現場で中心的な役割を担っていたのは、リハビリテーションセンターの人たちでした。ですから、障がい者のためのスポーツセンターが初めてできたということは、つまりパラの世界に初めてスポーツの世界の人間が入り込んできた、ということにもなります。

萩原藤原先生のような方々がそこから先頭に立ち、スポーツとしてパラの世界を引っ張ってきてくれたからこそ、今こうしていろいろなことが活性化し、世界でも活躍できる選手が増えてきたのですよね。

藤原いえいえ、それはやっぱり選手の皆さんの頑張りですよ。あえて言うならば、私はみなさんがただ楽しくやっていたところに、パラリンピックというのは競技スポーツの世界やで、という考えを持ち込んだとは思います。私が大会に連れて行くのは選手であって、リハの患者さんじゃないよ、と。それだけのことですよ。

萩原なるほど、先生がこの世界に入っていらっしゃった時、選手を取り巻く環境についてはどうだったのでしょうか?

藤原コーチにしても、実際のところはまだ、介護人、というイメージが強かったですよね。要するに、選手を抱きかかえられる、というのがコーチの条件、ですからどうしてもコーチは男性に限られていました。しかし、実際には女性の選手も大会に参加するわけで、やはりそこには女性のコーチだって必要です。女性同士でしか話せないようなテーマもいろいろあるでしょうし、あっていいと思います。ですから私は、女性のコーチも必要だ、という主張をするのですが、古い考えの人たちからは、女性に選手が担げるのか、なんて議論が出たりもしていました。まあ私はこうですから、そういう議論なんて全く聞かなかったですがね、笑。

萩原日本のスポーツ界では最近になって、女性の活躍、女性の進出ということが、声高に主張されていますけれど、先生はその頃から一歩進んだところで物事をご覧になっておられたのですね。

藤原いえいえ、ごく当たり前のことでしょう。それに、私の周りにいた女性の関係者の方々は、心身ともにとてもしっかりした方々ばかりでしたよ。

<次のページへ続く>



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