スポーツチャレンジ賞

このページをシェア

YMFS SPORTS CHALLENGE PRIZE SPECIAL CONTENTS

藤原進一郎

藤原進一郎の足跡

FOCUS
SHINICHIRO FUJIWARA

すべての人にスポーツを

昭和49年5月2日、大阪市東住吉区長居公園に一つの公共施設が誕生した。施設の名は「大阪市身体障がい者スポーツセンター」、大阪市主導で作られた日本初障がい者のためのスポーツ施設だった。

現場の責任者として施設の指導課長に就任したのは、当時大阪市立大池中学校で体育の教師を務めていた藤原進一郎という人物だった。

「私は41歳になったばかりでした。教師の仕事が嫌になったとか、そういうことは全くなかったんです。ただ、40歳を過ぎると、学校の中ではやれ教頭の職がどうだとかこうだとか、そういう話も出てきます。ところが私は、そういう類の話はあまり興味を持っていなかった…」

新しい世界で新しい何かを始めてみる。藤原の背中をもうひと押ししたのは、彼を熱心に誘った初代館長のこんな言葉だった。

福祉のことは私自身が長年役所でやってきた。医療面のことは、専門のドクターに引き受けてもらう。だからこの二つのことは何も心配しなくていい。君にはスポーツのことを頼みたい。真っ白な白壁に、君の好きなように絵を描いてくれ。

藤原はその役目を引き受けることにした。

<次のページへ続く>



「BACK STORIES」トップにもどる
「スポーツチャレンジ賞」トップにもどる

一つ前のページにもどる