スポーツチャレンジ賞

第4回 功労賞 岸本 健さん

岸本 健さん
Profileスポーツ写真家/株式会社フォート・キシモト代表取締役社長 1938年生・北海道出身

1950年代後半に若松不二夫氏のもとでスポーツ写真の撮影を開始。1966年には日本初のスポーツ専門フォトエージェンシー(株)フォート・キシモトを設立し、収蔵点数で世界最大級のスポーツ写真ライブラリーに育て上げた。主な受賞歴は、モスクワオリンピック国際ポスターコンクールでの金賞受賞。日本選手団が不参加となったこの大会で、当時「日本唯一の金メダリスト」として注目を集めた。


選考のポイントとなったチャレンジの軌跡

スポーツ写真家の草分けとして、スポーツ報道の機会拡大に貢献
〜50年間で約800万点のスポーツの現場を記録〜

1965年国内水泳競技会(バタフライ)

岸本氏がスポーツ写真の撮影を開始した1958年当時、スポーツの大会や試合の撮影は主に新聞社から派遣された写真部員によって行われていた。北海道の高校を卒業後、銀座松屋の写真館で肖像写真撮影の修行をしながら日本体育協会の事業活動に関わる撮影を開始した岸本氏は、機材費・材料費・活動費などを自力で捻出しながらさまざまなスポーツの現場に足を運ぶことで実績と信頼、撮影技術を積み重ね、1961年に日本で初めてのスポーツ撮影を専門とするフリーランスカメラマンとして独立、その先駆者となった。

東京オリンピックでは、写真家志望の学生を中心に編成した独自のチームで組織的な取材・撮影を成功させ、1966年には日本初のスポーツ専門フォトエージェンシー(株)フォート・キシモトを設立。以来、同社では岸本氏を中心に、東京大会から数えて夏冬オリンピック24大会、サッカーワールドカップは1970年メキシコ大会を皮切りに11大会連続で撮影。その一方、市民・健康スポーツ、ジュニア・ユース年代のスポーツ、障がい者スポーツなどの撮影にも幅広く取り組み、1950年代後半から半世紀以上にわたり継続的に撮影・整理・アーカイブしてきたスポーツ関連の写真はおよそ800万点にも及ぶ。こうしてストックされた貴重な写真は、スポーツ報道はもちろん、スポーツ文化の醸成や振興、またスポーツの技術向上、さらに教育や研究の現場などで広く役立てられている。また、スポーツの魅力を伝える新たな手法として、スポーツ写真に語りや文章、音楽等を加えたコンテンツ「マルチスライド」を構想・開発中。

受賞者のコメント

岸本健さん1964年に開催された東京オリンピックの開会式で、日本選手団主将として世界に向けて選手宣誓を行った体操の鉄人・小野喬さんは、色紙などに、好きな言葉として「努力」と書かれています。そう考えると、今の世の中は社会全体が何かに甘えているような気がしています。私はスポーツとともに歩んで55年が経とうとしていますが、そこから、努力、チームワーク、フェアプレー、国際貢献などさまざまなことを教えられました。一枚一枚の写真を見ながら、そうした環境の中で、私自身が人生を歩んでくることができたことに感謝しています。

応援者のコメント

飯島浩フォトデザインスタジオ代表 飯島 浩さん

飯島 浩フォトデザインスタジオ代表 飯島浩さん 岸本さんとの思い出をすべて話していたら一冊の本になってしまいそうですが、出会って間もない頃、国内で開かれた競泳の大会に連れて行ってもらった日のことをよく覚えています。当時の岸本さんはご存じのようにスポーツ写真家としてスタートを切り、一方の私は広告写真を専門とするカメラマンでした。会場でクロールの選手が練習している時ですが、岸本さんにカメラを渡されて「選手が息つぎで顔を上げた瞬間を狙ってみろ」と言われました。分野は違うものの私もカメラマンですから多少の自信はあったのですが、写っていたのは36カット中3枚だけ。「スポーツ写真というのはすごい世界だな」と感じたことが昨日のように思い出されます。

以来、岸本さんには1976年のモントリオールを皮切りに2008年の北京まで、何度もオリンピックの撮影に連れて行ってもらいました。私が連れて行ってもらったのは岸本さんの活動のほんの一部ですが、このように長きにわたって広く世界のスポーツを記録し続けたことが評価され、このようにスポーツ振興の分野で認められたことを私自身も嬉しく思っています。このたびはおめでとうございました。


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