クローズアップレポート

黒須 成美

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黒須 成美

近代五種/選手


自分の可能性を信じ、ロンドンでの入賞に挑戦
〜「折れかかった瞬間」からのスパートで、五輪切符を獲得!〜

ゴール前5mでライバルをかわして出場権を獲得

「行ける、落とすな!スパートしろ!」「行くぞ。オリンピック、行くぞーっ!」 黒須選手の耳に、父でありコーチでもある秀樹さんの絶叫に近い声が届いたのは、ゴールまでわずか200mを残した地点でした。ここでライバルにかわされ7番手に落ちた黒須選手は、まさに「気持ちが折れかかったその瞬間、お父さんの怒鳴り声が聞こえてきた」と振り返ります。

5月19日、ロンドン五輪の予選を兼ねた近代五種アジア選手権(中国・成都)。五輪出場権を争う熾烈な戦いは、最終種目であるコンバインド(ランニングと射撃の複合競技)の終盤までもつれ込みました。6番手を走っていた黒須選手はゴールを目の前にして順位を一つ落とし、手繰り寄せた五輪出場の権利を失いかけるという状況に追い込まれたのです。

「その先に、距離にして40mくらいでしょうか、フラフラになった韓国人選手がいました。視覚的にはかなり厳しい距離に見えたのですが、それまでのタイムの落ち方を計算するとゴールの直前でかわせる可能性が残っていたのです。ですが、本人が諦めてしまってはそこで終わりですから、もうなりふり構わず、無我夢中で大きな声をかけ続けました」と話す、父・秀樹さん。

「その声を聞いてからですね。ずっと噛み合っていなかった気持ちと筋肉がピタッと合った気がしました。自分でもどこに力が残っていたのか不思議でならないのですが、折れかかったところからもう一度、最後の最後でびっくりするようなスパートがかけられたんです」

こうして残り5mというところでライバルの韓国人選手をとらえた黒須選手は6位でフィニッシュ。この瞬間、日本女子選手として初めて五輪・近代五種競技への出場権をつかんだのでした(注:五輪出場権が与えられるのは上位5選手まで。しかし1国2名という規定により、3位に入った中国人選手に代わって黒須選手が繰り上げで出場権を獲得)。

練習場の被災により、トレーニング拠点を韓国・釜山へ

五輪予選を目前に控えた今年の前半、黒須選手はいくつかの困難と懸念材料を抱えていました。

その一つに、3月11日に発生した東日本大地震により地元・茨城県の練習拠点を失ったことが挙げられます。ただでさえ黒須選手のような民間のアスリートが、水泳やランニングに加え、特殊性の高いフェンシング、乗馬、射撃という五種目の練習を日常的にバランスよく行うことは並大抵の苦労ではありません。各トレーニング施設の間を移動するだけでも大きな負担となり、睡眠時間を十分に取れないという悩みも抱えていました。そうした厳しい環境の上に、さらに施設の被災が重くのしかかったのです。

「自衛隊で練習をさせていただけないかという相談もさせてもらいましたが、自衛隊の皆さんも被災地への隊員派遣などでそれどころではない状況でした。困り果てて各所にアプローチした結果、幸いにも韓国・釜山のクラブが受け入れてくださることになって、そこからは現地にアパートを借り、韓国人のコーチ、韓国人のライバルたちとともにトレーニングに励んできました」

こうして練習拠点を確保した黒須選手でしたが、今振り返ると焦る気持ちがあったのかもしれません。成都の大会まで残り1か月少しというタイミングで、それまでも何度か経験していたオーバートレーニングによる疲労骨折(脛骨)を再び起こしてしまったのです。

「怪我をするまでは、コンディションにさえ注意を払えば必ず五輪切符をつかめるという自信を持っていました。でも疲労骨折でランニングのトレーニングを休まざるをえなくなって、“これで可能性は半分になってしまった”と感じました。だからこそ、100%の力を出さなくては枠をつかめないと気持ちも入りましたが、ちょっと不安になったのも事実です」

焦る気持ちを抑えながらしっかりと怪我を治し、また最善の注意を払ってコンディションを整え、決戦の地・成都に乗り込んだ黒須選手を待っていた最後のハードルは、「これまで経験したことのない種類の緊張」だったそうです。「明日すべてが決まると思うと、自分をコントロールできなくなってしまった」とその夜の精神状態を振り返ります。

いつものように夕食を終え、ホテルの部屋に戻って一人になった瞬間でした。突然、その緊張が黒須選手を包んだのです。手が震え、力を抜こうとしても逆に力が入ってしまう。チェックリストを片手に競技場に持っていく荷物をバッグに詰めている間も、入れたものを次の瞬間には忘れ、不安になってはもう一度詰めた荷物をすべて出すということを繰り返し、結局普段は20分程度で済むパッキングに90分を費やしたそうです。この夜はベッドに入っても眠りにつくことができず、寝返りばかりを繰り返す長い一夜となりました。

そして当日。「今度は前の日の緊張とは違う興奮状態にあることが自分でもわかりました。会場に向かうバスの中では体の震えが止まらなくなり、音楽を聴いて鎮めようとしましたが、何を試みてもダメでした。もうこうなったら観念して無理に体や気持ちをコントロールせず流れに任せよう、そう思った瞬間から少し楽になったような気がしました」

最初の競技はフェンシング。幸先よく連勝スタートを切りましたが、それでも「いつもの勝ちパターンとは違う」という違和感が消えなかったそうです。「自分のペースではないから体力の消耗も激しい。やはりいつもの自分ではなかった」と言う黒須選手は、ベストパフォーマンスとは程遠い印象を抱えながらも得意のフェンシングを2位で終了。続く水泳、乗馬で順位を落としたものの、4番手のポジションから冒頭で紹介したコンバインドの勝負に持ち込んだのでした。

「出場して満足」では終わらない。目標は入賞、そしてメダルへ

「たくさんの人に支えられて、まずは目標だった五輪出場権をつかむことができました。ただ、アジア予選をぎりぎりで通過したということは、五輪に出場する36選手の中で私が一番力のない選手ということかもしれません」

現在の実力をそう分析する黒須選手。しかし、目標としていた五輪出場権をつかみ、それで満足ということではなさそうです。

「練習させていただいている釜山のクラブのコーチからは、“これからの成長次第ではメダルだって狙えるんだ”と背中を押してもらっています。今はまだ36番目の力しかありませんが、本番までの1年間でレベルアップをする自信はあります。ですから目標はあくまでも高く、入賞、そしてメダル獲得まで見据えてチャレンジしていきたい」

経験が求められる近代五種競技では、選手のピークは30歳代に迎えると言われています。20歳でロンドン五輪を迎える黒須選手は、オーストラリア人選手と並んで最年少の一人に数えられます。

これまで「世界ランキング100位以内」「全日本選手権優勝」「世界ランキング50位以内」そして「五輪出場権獲得」と常に具体的な目標を掲げ、それを一つひとつ実現してきた黒須選手。まだまだ欧州のトップ選手との力の差は小さくありませんが、高い目標を抱いて挑む五輪の舞台は、伸び盛りの黒須選手にとってかけがえのない経験となることでしょう。



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